イラスト:約8秒で画像が切り替わります【第4回】 近まさり
  近まさり。
 この言葉も、古典ならではの、というか、古典にしかない印象深い用語である。たとえば、『源氏物語』では、明石の君と初めて閨を共にした光源氏は、いつもはイヤになるほど長く感じられる夜が、あっという間に明けてしまった気がしてしまう。それは、
“御心ざしの近まさりするなるべし”
 御気持ちが“近まさり”したからだろう、と作者は解説する。
 あるいは、光源氏の不義の子冷泉帝が初めて玉鬘を目の当たりにした時、彼は、聞きしに勝る“近まさり”に、すっかり彼女のとりこになってしまう。
 はたまた宇治十帖で、光源氏の孫の匂宮は、皇子という身分柄、ふだん美しい人をたくさん見ているのであるが、そんな匂宮の目にも、中の君は見劣りせず、容姿をはじめとして“近まさり”して思われている。まして中の君に仕える老女房などは、
「こんなにもったいないほどの美貌を、並の身分の男にお見せしていたら、どんなに残念だったでしょう。理想的な御縁で」
などと喜んでいる。

 近まさり”とは、読んで字のごとく、近づいてみたら、遠くで想像していたのよりまさっていたということ。間近で顔を見て、肌に触れ、語り合ってみたら、つまり男女の仲になってみたら、思っていたより魅力的だった・・・という文脈が多いが、冷泉帝が玉鬘を見た時の感想のように、男女の仲になっていないで使用される場合もある。
 しかし、どっちにしても「男が女を間近で見たら」ということで、これは、高貴な女は、結婚でもしないと、間近でまじまじ姿を見られることはなかったという平安時代ならではの習慣が強く関係している。
 玉鬘も大貴族の娘だが、内侍所の長官である尚侍という公職に就任したので、ミカドの御前に姿を見せたわけである。それだって扇などで顔を隠していたはずだが、美人な雰囲気が匂うように伝わってきたのだろう。
 上流婦人が人前に姿を現さなかった当時、では、どうやって、男は女を選んでいたのかというと、女の乳母や女房、男きょうだいなどからの「噂」である。それで、恋心をつのらせて、手紙を送ってみる。一回で返事はこないこともある。女のほうは気があれば、二回目か三回目くらいで、返事を出すが、男はその筆づかいや文面で、女の性格や教養を判断する。互いに文通を数カ月して、恋心を育てていくと、男は、女の召使いにワイロなどをやって手なづけて、その手引きで、塀の崩れなどから、女を覗き見する。これが「垣間見」。女のほうでもまるで容姿も分かってもらえないまま、結婚して、すぐ飽きられて捨てられでもしたらみっともないから、わざわざ垣間見用の穴を用意しておいたくらいである。
 このとき男は、女の容姿を遠目に確認するわけだ。
 ちなみに女も祭などのイベントで男の容姿を確認してもいて、藤原道長の求婚を源倫子がオッケーしたのも、倫子の母が物見などで道長を見て気に入っていたから。倫子自身も当然、母と一緒に道長を見ていたことだろう。『源氏物語』でも、玉鬘が冷泉帝への出仕に乗り気になるように、養父の光源氏は大原野の行幸の際、彼女に冷泉帝の麗姿を見せている。
 こうした段階を経て、実際に、顔を存分に見ることのできる結婚へ進むと、
「遠目に見ていたより、数段、いい女だなぁ」
という嬉しい驚き、“近まさり”が発生するわけだ。
 現代人には味わえないサプライズというか、お楽しみといえるだろうが・・・
 実は当時は、逆に、“近劣り”なんて恐ろしいことばもあったのだ。当然のように。言うまでもなく、実際に近くで接触してみたら、遠くから見ていた時よりも見劣りする、の意だ。寝てみたら、がっかり・・・みたいな。
 こっちのほうは、訳せなくてようござんした、という感じでしょうか。


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