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【第7回】 ねびまさる
日本では人口増加が止まり、65歳以上の人口比率が20%を越して、老人だらけの国になりつつあるようだ。少子化・老人大国・・・・・・いいことじゃん。数は力なりだ。子供の数が少ないほど子供が生きにくいのはうちの子を見ていても分かる。一方、これから老人まっしぐらの私としては、老人が多いほうが、老人が生きやすくなっていい。
これが子供うじゃうじゃの平安・鎌倉時代あたりに生まれてごらん。権門の老人は別として、年取った庶民なんて木の葉より軽く扱われる。
有名な舌切雀だって、もとは優しいお爺さんと意地悪なお婆さんの話なんかじゃない。鎌倉初期の『宇治拾遺物語』の原話「雀報恩事」によると老人虐めの話である。子や孫に持て余されていた“六十斗(ばかり)の女”が、家族に憎まれ笑われつつも、腰の折れた雀を助けた恩返しに白米の成るヒョウタンの種をもらい、家族に一目置かれるようになった。それで、隣家の“女”の子供が、「同じようでも隣の人はあんなだ。それに比べて、まともな仕事もおできにならない」などと言うので、“隣の女”が“子どもにほめられん”と真似をして、雀の腰をわざと折って介抱したあげく(舌切雀の原話では、雀は舌を切られず、腰を折られるのだ)、雀に恨まれて、毒虫の入ったひょうたんの種をもらって、しまいには虫に刺されて死んでしまう。物語は「だから人を羨んではいけない」と結ばれ、老人虐めの自覚すらも無い。
南北朝時代の『徒然草』だって似たようなものだ。
老いを自覚したら静かに過ごすべし、四十過ぎても恋に落ちるのは仕方ないとしても、わざわざ声に出して人に言うのは見苦しい、と、兼好法師は主張する。また、腰が曲がり、眉が白くて、いかにも徳が高そうな老法師を尊ぶ大臣に、後醍醐天皇の寵臣、日野資朝が、
「年とっているというだけのことです」と言い、後日、見苦しい老犬を大臣に献上したというエピソードも紹介している。
こんなふうに、子供が多くて老人が少なく、しかも儒教思想も普及していない時代には、老人は役立たずで醜いのだから、それを自覚して遠慮がちに生きるべきだという主張が古典のそこここにあった。
室町時代くらいまでの若さ至上主義、老人蔑視といったら、胸が痛くなるほどで、こんな時代に生まれて、年老いるなんてヤなこった。
と思うのだが。
恋と美の至上主義であり、若さ=美しさであった平安時代などには、老人へ向けられる目は『源氏物語』の源典侍や女五の宮などをみても、やはり冷たいものの、出陣の必要も無く、栄養状態の良かった貴族は案外、長生きが多かった上、女の地位がまだまだ高かったこともあるからなのか、美しく老いたいという、今と似た志向ももちろんあって、こんな言葉が物語にはしょっちゅう出てきていた。その言葉とは、
“ねびまさる”である。
“まさる”ったって、人の名前じゃない。年と共に良くなっていく、年を取ると共に美しく成熟していく、という意味で、『岩波古語辞典』によると、老いは「年をとって衰えに近づく意」であるのに対し、同義語の「ねび」は「年をとったのにふさわしい行動をする意」だという。
『源氏物語』の藤壺や紫の上、明石の君などがねびまさった例だが、継子虐めで名高い『落窪物語』のおちくぼの君などは顕著にねびまさった人である。
彼女が継母の手元で虐められていた頃、思いがけず貴公子が通ってくるが、その頃、貴公子の目に映ったおちくぼの君は、その言動が“子子し”・・・子供のように初々し・・・くて、ために、“らうたし”・・・可憐だ・・・と思われていた。
おちくぼの君はやがて、貴公子の手によって継母の元から救い出され、貴公子の妻となり、子供も生む。そしてことあるごとに“ねびまさり”と形容されて、大貴族の妻にふさわしい貫録と人間性が身についたことが強調される。苦労人の彼女なればこそ、だ。一方、昔、彼女より優位にあった継母の実子である妹達は、人を束ねる力もなければ、気配りも無い。いくつになっても子供みたいで、召使へのチップの手配なども、夫がすべてやらざるを得ない。
子供みたいなオバサン、子供みたいな老人ほど始末に負えぬものはないわけで、老人だらけの国になるのはいいが、「老い」てる人ばかりで、「ねび」てる人が少ないのはどうかと思う。で、そういうタイプに一番なりそうな私は、今から“ねびまさ”るべく、年齢にふさわしい落ち着いた判断と行動を心がけるようにしているのだが、“ねびまさる”ってだいたいは二十代や三十代に使われる言葉なわけで、若い頃からこつこつと勉強なり仕事なり恋なり育児なり、年相応の実績を積み上げていくのがいかに大事かってことである。
六十過ぎて“子どもにほめられん”などと思う「雀報恩事」の隣の女などはさしずめ「老い」てしまった女。六十歳にふさわしい知恵と貫録と人間性を築きそびれてしまったのである。
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