イラスト:約8秒で画像が切り替わります【第9回】 劣り腹
  いま仕事で『源氏物語』を現代語訳している。人間だもの、恋も親子関係の悩みもうなずけることばかり・・・と言いたいところだが、なにしろ千年も前の、ファンヒーターもエアコンもブラジャーもない時代の物語である。原文だけ読んでいれば分かったつもりでも、いざ訳してみると難しいのは、おそらく英語の得意な人が意味は理解できても、日本語訳は容易ではないのと似たようなものではなかろうか。って、私は英語、不得意なんですが・・・。それでもあえてたとえて言うと、good-byeは日本語では「さようなら」と訳されるけれど、good-byeの語源は“God be with you”、つまり「神がそばにいてあなたをお守りしますように」という意味であるのに対し、「さようなら」は「左様ならば」の変化形。「じゃあ」「それでは」ってだけのことで、「左様ならば、ご機嫌よう」とか「左様ならば、おいとまいたします」といったふうに使われていたのが、あとが略されて「さようなら」になったわけで、宗教の色濃いgood-byeとは語源もニュアンスも異なるのは、社会背景の違いとか、色んな要因がありますよね。
 同じように、現代日本とは婚姻制度も時代背景も違う何千、何百年も前に書かれた古典には、現代の日本語ではどうしても表現しきれない、表現できても一言では言えない、一言で言ってしまうと「原語の滋味」ともいうべき味わいが薄れることばがある。
 ここではそういう現代語訳できない古典のことば、できることなら訳したくないことばを紹介していくつもりである。

 “腹”がこのように取り沙汰されるのは、それだけ腹が大事だから。 
 母系制の色濃く、母方の父の発言力が強かった当時、母親の家柄は子供の立場を左右した。他を圧する資質をもった光源氏が、臣下としてミカドに仕える身になったのも“更衣腹”と言われた身分のせいだったと、物語は言う。
 貴族でも、母の身分が低ければ、男なら、大きな出世は見こめないからと幼い頃に出家させられるケースも多かったし、女なら、結婚相手のグレードや結婚形式も不利なものになった。そこまでいかずとも「相手になめられる」ということはあったことが『源氏物語』からうかがえる。
 頭中将の息子柏木は、妻の女二の宮を“下臈の更衣腹におはしましければ”・・・身分の低い更衣のお腹から生まれた方でいらしたので・・・気安い気持ちも混じった扱いとなり、“落ち葉”と称して侮っていた。そして同じ朱雀院の皇女でも女御腹の女三の宮を恋慕して、彼女が光源氏の妻となったあとに、とうとう過ちを犯してしまう。
 この柏木と女三の宮との間にできた不義の子が薫で、彼にいたっては、女御腹の女二の宮を妻に迎えても飽き足らず、“后腹におはせばしも”・・・これが中宮腹でいらしたら・・・と、夢想している。
 庶民から見れば、ミカドの娘というだけでこの上もないお嬢様なのに、『源氏物語』のお坊ちゃまは、更衣腹よりは女御腹、女御腹よりは后腹と、“腹”の持ち主に際限もなく高い身分を要求する。
 が、実は、劣り腹の女を馬鹿にする者は、主人公の光源氏ではなく、頭中将の血筋に集中しているのだ。それは自分の血筋へのコンプレックスの裏返しという側面もあって、薫が女の身分にこだわるのも、自分が光源氏の本当の子供ではないのではという疑念を抱いているからこそ。要するに自信がないのだ。
 そんな薫はのちに、八の宮の劣り腹の娘である浮舟と関係するが、劣り腹と侮って放置するうちに、ミカドの息子で親友でもある匂宮に寝取られたあげく、行方しれずにさせてしまう。浮舟は死んだということになって、えらく悲しんだ薫が一周忌の準備まで執り行ったという噂が、実は尼にかくまわれて生き延びていた浮舟の耳にも入っている。
“この大将殿の御後のは、劣り腹なるべし。ことごとしうももてなしたまはざりけるを、いみじう悲しびたまふなり”…この薫の大将殿の二人目の方は、劣り腹なのでしょう。表だってきちんと待遇なさることはありませんでしたが、ものすごくお悲しみになっているのです・・・
 ミカドに愛され子供を生んで一族の栄華を得られるという平安政治の生々しさを、古典に見える生々しいことばの数々はそのまま象徴している。そのひとつが“劣り腹”で、そんなことばなど訳せぬ世の中でよかったが、格差社会と言われる昨今、些細な格差にとらわれたあげく、幸せを逃す薫の姿はどこか他人ごととは思えないのである。


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