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【第10回】 我が背子
中学生の頃、古典の授業で習って軽いショックを受けたのは、“妹”や“背”や“吾妹子”“背子”“妹背”などの語群。いや、これらのことば自体は知っていたのだが、何がショックって、たとえば、
1 “我が背子が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行ひ今宵著しも”(『日本書紀』)
2 “我が背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露に吾が立ち濡れし”(『万葉集』)
という二つの歌ね。1の背子は夫とか女から見た恋人の意味。一方、2は、姉妹から見た兄弟の意味だ。
夫とか恋人とか、要するに性愛の相手となる対象と、血を分けた兄弟が同じふうに呼ばれる。
“妹”も同じく、男から見た妻や恋人を指すだけでなく、男から見た女きょうだいも指す。
それに関する先生の説明が、私には「がーん」だった。先生は妹や背という語が夫婦にもきょうだいにも使われる理由をこう解説なさったのである。
「『古事記』とか『日本書紀』、『万葉集』が書かれた昔には、きょうだいで結婚することが多かったからなんですよ。同じお母さんだとダメなんですが、異母兄弟ならオッケーで、昔はそういう結婚が多かったんですよね」
思春期で、しかも当時の詳しい社会や家族の仕組みを知らなかった私は、単純に「きょうだいで結婚」と聞いて、それって近親相姦じゃん!と思った。
今なら、当時は一夫多妻で、しかも母系的な家族形態だったから、生まれた子供は母の里で育ち、母が違うきょうだいは顔もあわせないまま大人になることも多いから、他人も同然だったりしたと分かるし、先生もあとでそのように説明なさったのだが、私は弟と自分が結婚する図を思い描いたりなんかして「げー」と思ったのだ。
しかし今でも問題だなと感じるのは現代語訳で、1は衣通郎姫が夫の允恭天皇を思って歌ったもので、これは、
「あの人が来そうな宵だわ。蜘蛛の動きが今宵はとくに目立つもの」
と、“我が背子”は「あの人」と訳せば足りる。足りると言っても“我が背子”である。ほんとは“我が”も訳したい。となると「私のあの人」となって、ちょっと現代語っぽくない。古代の古典にはこういう日本人離れした愛情表現が意外に多くて、『古事記』でもイザナキとイザナミは“愛しき我が那勢の命”“愛しき我が那邇妹命”と呼びあっている。マイダーリンとかマイハニーと訳したほうがいいくらいである。
さて“我が背子”に戻ると、問題は、大伯皇女が同母弟の大津皇子を思って詠んだ2で、これを「あの人」と訳すと、
「あの人を大和へ送り出そうというので、夜もふけて、暁の露に私は立ち濡れた」
と、恋人か夫婦と変わらぬ歌になってしまう。もっとも皇女が同じ時に詠んだもう一首の歌も、
“二人行けど行き過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ”
・・・二人で行っても通り過ぎにくい秋山をどのようにしてあなたは一人で越えているのかしら・・・と、まるで恋人に詠みかけたような歌で、二人には姉弟を超えた感情があったのかと、一見、思わされるのだが。
歌で恋人チックな思いを述べるのはなにも異性のきょうだいだけではないのだ。
3 “我が背子と二人し居らば山高み里には月は照らずともよし”
・・・あの人と二人でいさえすれば、山が高くて里には月が照らなくてもいい・・・。
4 “我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し”
・・・あなたが玉だったらいいなぁ。そうすれば手に巻いて見ながら行くのに。置いて行くのは残念・・・。
共に『万葉集』のこれらの歌は、どう見ても先の1や2の歌と変わらない、いやそれ以上に恋歌恋歌しているが、どちらも作者は男。“我が背子”と形容される相手も男である。3は高岳河内連が男友達のことを詠んだもので、4は当時、越中守だった大伴宿禰家持が送別会をしてくれた現地の部下の秦忌寸八千島との別れを惜しんで詠んだ歌。
男どうし、職場の上司と部下どうしで、恋歌めいたやりとりをしたものが『万葉集』には多く、そこでは“我が背子”が多用されている。大伴家持は自邸での宴会で、やはり現地の部下の大伴宿禰池主とこんな歌のやりとりもしている。
5 “秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも”
6 “をみなへし咲きたる野辺を行き巡り君を思ひ出たもとほり来ぬ”
家持が5「秋の田の稲穂の向きを見がてら、あなたが茎を手折ってきたオミナエシだね」と歌えば、池主は6「オミナエシが咲いてる野辺をうろうろ巡って、あなたを思い出しつつ、人目を避けて遠回りして来ました」と、これまた恋人気分かつ乙女チック。 家持は七四六年当時、数えで二十九歳。いい年をした大の男たちが「お花を摘んでくれたのね」だの「あなたのために回り道して摘んだの」だの酒の席で互いを持ち上げあうのだから、現代人から見れば妙というか、さながらオカマの恋歌だが、当時はこれが、働くインテリ貴族の社交辞令だったのだ。
そう考えると、“我が背子”を含めた“妹”だの“背”だのの一群の語は、ただ「あなた」とか「あの人」とか訳すだけでは、本当は足りないことが分かる。今とは違う、こうした社会の仕組みとか、家族のあり方とか、そういうものをかんがみると、“我が背子”だの“妹”だのという、当時のことばそのままで表しておけばいいのである。
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