イラスト:約8秒で画像が切り替わります【第13回】 密懐
  「密懐」ということばは、大学時代、同じ日本史学専攻の同級生に教えられた。いまは研究者になっている彼女、野村育世さんは、
「いいでしょ〜密懐、響きがいいよね」
と、嬉しそうにそのことばを連発していたものだ。
 密かにフトコロにするという字面(じづら)からして艶めいているこのことばは、ずばり人妻との密通を意味する。惹きつけられる研究者は多いらしく、専門家の論文もずいぶんと出ている。
 しかもこれ、辞書には「みっかい」と仮名を振ってあるが、古くは「びっかい」とも読んでいた。花粉症の鼻詰まりのようだが、仮名書きの史料に“ひつくわい”とあるので、少なくともそれが読みのひとつであったことはたしか。
 たとえば戦国時代、陸奥の伊達氏によって制定された分国法の『塵芥集』164条がその一つ。原文は仮名が大部分で読みにくいのだが、日本思想大系の『中世政治社会思想 上』(勝俣鎮夫校注)では以下のように、適宜、漢字にしてくれている。
“密懐(びつくわい)の族(やから)、本(ほん)の夫(をつと)の方(かた)より、生害(しやうがい)さするのとき、女(をんな)を助(たす)くる事、法(はう)にあらず。たゝ゛し閨(ねや)におゐて討(う)つのとき、女房(ばう)討(う)ちはづし候はゝ゛、討手(うちて)越度(をつと)有べからざるなり”
 振り仮名をした漢字はもとの史料ではすべて仮名。人妻と密懐した間男を、妻の夫が殺害する場合、妻だけを殺さずに助けることは違法である、ただし寝室で、つまり浮気現場で間男を殺した場合は、女のほうは殺さなくても許されるということらしい。
 なんとも物騒な話で、密懐は、その艶めいた響きとは裏腹に、この手のお堅い史料によく見られる法律用語的な存在なのだ。
 が、それにしては、このことばの、あっけらかんさというか、罪の意識のなさは何なんだ! 人妻の密通に関する裁判では、現在、不倫とか不貞行為という語が使われるが、これらのことばには罪の意識がある。倫理に反するとか、貞淑ではないとか、道徳の香りがする。にもかかわらず、密懐のケースのように、婚外恋愛ごときで殺されることなどない現在、密懐に相当するような法律用語はない。強いて言えば、昭和二十二年に刑法が改正されるまで規定されていた「姦通罪」が思い出されるが、姦通という、罪悪と後ろめたさに充ち満ちたことばと比べてみると、いっそう密懐の異様な無邪気さが際立ってくる。
 そのことばが出てくる史料では、不倫や不貞行為はもちろん、姦通よりも厳しい罰が用意されているというのに、ことば自体には罪の意識も倫理の臭みもない、ただただ男女の密やかな抱擁を連想させるだけという、なんとも不思議なことばなのである。
 と思って、さらに調べると、「密懐」という語を生んだ意外なまでにゆるい性観念にたどりつくのだ。

 戦国時代よりも三百年ほど昔の鎌倉時代のことが書かれた歴史書『吾妻鏡』 (永原慶二監修・貴志正造訳注『全訳吾妻鏡』より)の一二四一年六月の条にはこうある。
“小河高太入道直季出仕を止めらる。これ源八兼頼が妻女に密懐(びつくわい)するの科(とが)によつてなり。その上、男女共に所領の半分を召し放さるべしと云々”
 これは一二三二年の『御成敗式目』の“他人の妻を密懐する罪科の事”という項目にのっとった裁きなのだが、鎌倉初期には、密懐した男女を殺していいという法はなく、ただ所領を半分取り上げられるだけで済む。いや、現代人にとってはこれだけでも十分、重い罪だろうが、これはあくまで源八が訴え出たから、このような措置を受けたのであって、こんなのばれたらお互い恥だよということで皆の意見が一致すれば、当事者同士の話し合いで済んでいたのではないか。
 家父長権の強い武士の世界では妻の性道徳に厳しくならざるを得まいが、婿取り婚が主体の平安時代にさかのぼると、人妻との性愛なんてのは日常茶飯事。罪に問われないのはもちろん、離婚にすらならないことも多い。夫に浮気を問い詰められてふてくされた妻に対して、夫が詠んだ歌なんてのも『後撰和歌集』にはあるし、『源氏物語』でも、朧月夜を犯した光源氏は、彼女が処女と知ると、
「これが人妻だったらもっと面白かったのに」
などと不埒なことを思うくらい、人妻との恋は貴族の刺激的なお遊びに過ぎないところがあった。平安貴族は人妻との不倫くらいでは驚かないからこそ、『源氏物語』でも、父帝の后との不倫などというヤバめの設定で人の耳目を驚かしたのだ。
 密懐という語が出てきた鎌倉時代初期くらいまでは、こうしたゆるい性道徳の世界に生きていた貴族が命脈を保っていたし、武士の世界でも婿取り婚が正式な結婚という意識があって、妻の婚外恋愛に対してまだまだ甘い認識があった。
 「密懐」に罪の匂いがないのは、語句誕生当時のそんないきさつがあるからではないかと私は思うのだ。
 だから鎌倉時代のうちは所領を半分没収という「金で解決」的な法だったのだろうし、戦国時代になっても、浮気現場以外で間男を殺す場合は、夫も殺人の罪を問われていた。先の『塵芥集』で、
“たゝし閨(ねや)におゐて討(う)つのとき、女房(はう)討(う)ちはづし候はゝ、討手(うちて)越度(をつと)有べからざるなり”
というのは要するに、間男を夫が浮気現場以外で殺すなら自分の妻も殺さなくてはいけないというプレッシャーをかけているわけで、間男を無条件で殺していいのはセックス現場を押さえた時に限定されると言っているのだ。けれどもそんな現場を押さえることなど、やすやすとできるわけがない。「密懐」にまつわる法律ができた当初、それが適用されて殺される間男というのは数えるほどしかいなかったと思う。
 ところがしだいに、密通した間男や人妻は死罪が当たり前というふうに武士の性道徳が厳しくなっていくと、密懐という語は消えていき、「不義」という罪の意識をまとった用語にとって代わられる。
 密懐ということばには婚外恋愛に対する支配階級の意識の変遷も記憶されているわけで、不義とも不貞とも不倫とも訳してはいけない。むしろ現代人の性意識にも通うこのことばを、復活させてはどうかと私は思うくらいだ。


閉じる