イラスト:約8秒で画像が切り替わります 【第39回】 雛人形の悲しいルーツ

 なんで三月三日の雛祭には雛人形を飾るんだろう。
 そして雛人形は男女のペアなんだろう。
 子供の日の五月人形は、鎧兜をまとった男の子ひとりなのに。
 そんな疑問が湧いて調べてみたところーー五月の節句は人が病気になりやすい“悪月”とも呼ばれる五月に(詳細は2009年5月参照)、薬効のある菖蒲や蓬で厄除けしたり、弓を射ることで悪霊退治するのが起源で、もとは人形を飾る風習はなかったのに対し、雛祭はそのルーツからして、人形が重要アイテムだったことに気づく

 雛人形は、人に似せた“人形”(ひとがた、とよむ)に、人の身代わりとして不幸をしょわせる風習から生まれた。
 昔は、今でいう人形は“雛(ひひな)”と呼ばれ、人間の代わりに棄てる、紙などで作った人形を“人形”と呼んで区別していた。
 この“人形”を肌にすりつけ、不幸や災難や穢れを移し、水に流すなどして棄てる日本古来の「祓(はらえ)」に、平安時代に行われた“雛遊(ひひなあそ)び”と呼ばれる今の人形遊び、さらに中国伝来の「上巳(じょうし)の祓(はらえ)」が加わって、三月三日に雛人形や桃の花を飾って祝う雛祭とになったのだ。「上巳の祓」は、三月の最初の巳(み)の日、禊をして災いを払う古代中国の行事。それが平安時代、日本古来の“人形”の風習とあわさって、三月の最初の巳の日に、身の不幸を人形に移し、水に流す行事が行われるようになった。『源氏物語』でも、主人公の光源氏が、須磨で謹慎中の三月最初の巳の日、
「今日は、こうして悩み事がおありの人は、禊をなさるといいのです」との召使いのアドバイスで、“ことごとしき人形”、おそらくは等身大の人形を舟に乗せて海に流している。
 こうした風習が流し雛の起源でもあって、雛祭の古い形であるらしい。
 これが室町時代以降になると、朝廷では、三月三日、人形を流すという形は改められ、人形を一夜、天皇の枕元に置いて穢れを移し、翌朝、寺につかわして祈祷を行わせた。ここから人形も精巧化・贅沢化していったらしい(『年中行事辞典』)

 雛祭が五月の節供と違うのは「初めに人形ありき」ということで、人形こそ、雛祭の中心だったことが分かる。
 にしてもなぜ、雛人形は夫婦なのか、男雛と女雛が最小単位なのかという疑問が残る。
 『源氏物語』の光源氏にしても、室町時代の天皇家にしても、三月三日の祓に使う人形は自分と同じ男の人形一体だった。本来、男は男の人形、女は女の人形を使っていたわけで、それがなぜ男女のペアを「流し雛」として流したり、飾るようなことになったのだろう。
 雛祭の一方のルーツである“雛遊び”からすると、やっぱ人形は男女そろっていたほうが楽しいということはあろう。『源氏物語』の紫の上も、リカちゃん人形ハウスのような小さな御殿に、“源氏の君”と名づけた“雛(ひひな)”を立てて、遊んでいる。もちろん、女の雛もあったことだろう。
 こうした、貴族たちの暮らしを模した“雛遊び”が、やがてゴージャス化して今の雛人形に近づいていった、ということが一つにはあろうと思う。
 が、それ以上に、いくら人形でも、独り身では可哀想、一生、処女や童貞では、人形だって浮かばれまいという、日本人ならではの価値観が働いているのではないか。
 というのも東アジアには「冥婚(めいこん)」という習俗がある。
 独身のまま死んだ人を、あの世で結婚させようというもので、中国では、女の子が結婚せずに死んでしまった場合、供養してくれる婚家がないという理由から、生きた男を見つくろって、死んだ女の子と形ばかりの結婚をさせるという形をとる。これが日本の場合、そうした家制度絡みの必要性よりも、単に「女を知らないまま死んだのは可哀想だ」的な理由で、多く未婚で戦死した男の子のために、絵や人形の花嫁を用意して、死者を供養するという風習が、東北地方にはあるそうだ「(岩田書院『東アジアの死霊結婚』)。
 日本では「結婚をもって『人になった』」(前掲書)と見なす観念が強く、結婚適齢期なのに独り身のまま亡くなって、あの世でさぞ、
「寂しい目にあっているだろうと親族が不憫に思」(同)ってのことらしい。
 愛し合う喜びを知らぬまま若くして死んでいった子供だけれど、せめてあの世では、夫なり妻なりと一緒に楽しく暮らしてほしい。そんな親の願いから、生まれたこの風習 ・・・・・・ 。そこには結婚して一人前という観念以上に、子を思う切ない親心がある。さらに「夫婦和合」を最高の幸せとみなし、そこに何にもまさるパワーを見出した日本人ならではの、性愛に対する考え方があると私は思う。
 思えば日本は、イザナキとイザナミという夫婦神の“みとのまぐはひ”、男女の交わりで生まれた国だ。日本の正式の歴史書の『日本書紀』にも、堂々とそう書いてある。
 長野県などの村境に多く見られる、男女一対の「道祖神」も、夫婦和合の力で外敵を防ぎ、打ち勝つという意味が込められていて、夫婦和合の力は、国を作るだけでなく、国を守り、争いをしずめ、平和をもたらすと日本では信じられていた。
 そんな大事な夫婦和合を知らないまま亡くなるなんて哀れじゃないか。
 セックスの喜びも知らぬまま死ぬなんて悲しいじゃないか、ひとりは寂しいじゃないか。
 ここで話は雛人形に戻るのだが、やがて棄てられる雛人形も男と女、二人で一つになっているのは、夫婦和合に重い価値を置く、こうした日本ならではの思いが働いているのでは? と私は思うのだ。
 人間の不幸を一身に背負わされ棄てられる身代わりの“人形”だって、独身のままでは哀れ過ぎる、夫婦であれば、“人形”だってあの世で愛し合って心を慰めることもできよう、子供を作ることもできよう、そんな優しい気持ち、”人形”に不運の一切合切を背負わせた生身の人間の、せめてもの償いの気持ちが、”人形”を夫婦一対として、やがてきらびやかな衣裳をまとう、華やかな雛人形を作ったのではないか。雛人形の上品ではかなげな顔を見ていると、そんな気がしてならない。


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