アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
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 ニューヨークで映画の脚本を書いて、製作も手掛けている高校時代の友人Aがいる。以前、彼はロシアに数年間滞在し、向こうでも同じような仕事をやろうとしていたらしい。ところが、舞い込んでくる依頼はテレビコマーシャルばかり。「正直いえば、コマーシャルは私の専門ではないし、目指している分野でもない……」。彼がそう話すと、相手のロシア人は「君、アメリカ人だろう? アメリカ人はみんなコマーシャルの専門家って、相場が決まってるんだ」と決めつけてくれるらしかった。
 ニューヨークの郊外で生まれ育ったミュージシャンの友人Bは、一年の半分くらいを外国で演奏しながら過ごしている。いろんな国の人といっしょに食事をとり、料理についてあれこれ話すことも少なくないが、実をいうと米国人の彼は一度もマクドナルドのハンバーガーを口にしたことがない−−両親が、わが子にそんなモノを食べさせまいと苦心精励し、本人もそのポリシーに逆らわず、すんなり受け継いで今年の春で、めでたく「100%無マック」状態で不惑を迎えた。一大快挙だと、ぼくなんか拍手を送りたくなるけれど、海外ツアーで出会う人々の中には、そう考えない相手もいるという。「ファーストフードの話題になって、こっちはよく知らないんだ、食ったことないというと、おいッ! 本当にアメリカ人かよって、モグリに思われたり、とがめられたりもする」。

 在日のぼくはといえば、ファーストフードをひと通り食べてきたし、コマーシャルの原稿も、二回ほど頼まれて、二回とも二つ返事で引き受けた(結局は採用されなかったが)。
 しかしたまに、例えばトイ(toy=玩具)の話になると、ぼくもモグリアメリカン扱いを受けることがある。相手はたいがい中年か高年の日本人男性。ベースボールカードから入って、ブリキおもちゃへと話題が移り、さらにビー玉へ、そして延長線で、こんなセリフが飛び出す −−「君は米国人だから当然、ベイ独楽(ごま)が得意だろうッ? なッ」
 初めていわれたとき、ベイ独楽のベの字も知らなかったので、笑われながらもナプキンに図を描いてもらい、身振り手振り交じりで打ち方も教わった。けれどどんなに記憶を探っても、母国でそんなトイはついぞ見たことがない。普通の独楽ならトップ(top)といって、いくつかの種類があるが、ベイにジャストミートするものは思い当たらない。
 その後、何度か同じような目にあい、ぼくの故郷ミシガン辺りはトップ的に貧しい地方なのか……。もしかして西海岸の玩具文化で、それが東洋へ伝播したかしら……。さまざまな疑問がわき、百科事典を引いてみて分かった−−「米国人だから当然ベイ独楽」うんぬんといっていた連中こそモグリであるということ。
 「ベイ」は、アメリカとは全く関係ないのだ。ニッポンの海の、わりかし浅いところの砂に、見事な紡錘形の殻を持った巻き貝が棲息。その名は「バイ」、分類でいうと「エゾバイ科」に入る。江戸時代の、どうやら寛永(1624〜1644年)の頃にだれかがバイの貝殻を、胴の真ん中よりちょっと上で輪切り風に切断、螺旋状の上半分の内側に蝋(ろう)を詰めて「バイ独楽」として遊び出した。それがどんどん広まって、そして江戸では訛(なま)って「ベイ独楽」に。明治時代に真鍮製のものや「鉄バイ」が出現、昭和になると「サクラベエ」だの「ノラクロベエ」だの、戦後には人気の野球選手の名前入りのベイも流行ったそうだ。もし「ベイ独楽」を英語に訳すならば、そのルーツである貝への敬意も込めて Japanese seashell top がよかろう。




 今度「君は米国人だから……」ときたら、上のような解説でやり返そう。ただ、あまり詳しくいうと、「おいッ、君、ホントにアメリカ人かいッ?」と、逆効果を招きかねない。
 ま、そういわれてしまえば、こっちはもう「アカンベイ」という手しかないのかも。



アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。絵本に『カエルのおんがくたい』(福音館)、『Our Cup of Tea ティータイムがと・く・い』(星雲社)、訳書に『どんなきぶん?』(福音館)など 。
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