アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
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 そもそも「俳号」という風流なものが、この世に存在すると知ったのは、来日してあとだ。俳句そのものの存在はもっと早く、ミシガンの小学校で「ポエトリー・オブ・ザ・ワールド」といったテーマの下、ちょっぴり教わって知った。haiku としてではあるけれど。
 それから中学二年のとき、「国語」に相当する ENGLISH の時間で、一句をひねる宿題も出たのだ。今度も poetry の勉強の一環として。ぼくは悩んだあげく、動物園で見た火食鳥に的を絞って、指を折り折りシラブルをカウント、やっとこファイブ・セブン・ファイブの型に押し込んだ。それは、動植物または天候のことを題材にせよと、先生にいわれていたからだったが、二十余年経った今、もしやと思い、わが家の本棚にある3冊の『歳時記』を引いてみて、分かった−−「火食鳥」では季語にならず、ぼくのファースト・ハイクは「無季」だった。(「緋水鶏」なら夏の季になるが)。




 火食鳥の頭に風変わりな突起があり、拙句でそのチャームポイントを取り上げたことは漠然と覚えているが、どういうファイブ・セブン・ファイブに仕上がっていたか、忘却の彼方だ。ENGLISH の授業で見本として学んだ作品も、思い出せない。ただ、先生が配ったプリントに、多分、芭蕉と一茶あたりが英訳で載っていたような……。
 もちろん BASHO も ISSA も、エキゾチックに響く初耳のネームにすぎず、それらが立体的な人物像へとふくらんでいけるほどの、伝記上のディテールも、おそらく紹介されなかっただろう。ただ、何となくぼくは当然のことのように、KOBAYASHI という苗字の家族に息子が生まれて ISSA と名づけられ、一方では MATSUO ファミリーの坊やは BASHO と命名、どこかそんな思い込みが、かすかにあった気がする。










 「俳号」という語は、わが家にある4冊の和英辞典を残らず引いても出てこない。しかし、参考書の知恵を借りずとも、a haiku poet's pen name といった訳で十分。なるほどそう考えると、日本に限らず古今東西、ペンネームを冠した書き手は枚挙にいとまがない。たとえばアメリカ文学の中で、とりわけ有名なのが、若かりしころミシシッピ川で水先案内人をやっていたマーク・トウェーンだ−−。
 船にとっての安全水深はおよそ3.6メートル、すなわち12フィート、航行用の単位に直せば2尋(ひろ)である。英語で「尋」のことを fathom というが、水深を測る測鉛線に1尋ごとに「しるし」がついているので、mark も「尋」の意味になる。2を表すには、ご存じの two のほか、古語の twain もある。そして、どちらかといえば後者の方が、聞き間違えられたり混同されたりする可能性が低い。そんなわけで水先案内人が「安全水深だ!」と、測鉛線を確かめながら発する掛け声が昔から Mark twain! と決まっていたのだ。両親からサムエル・クレメンズという名をもらった男が、船で仕事中に自分が連呼した言葉を、やがてそのままペンネームに。和訳すれば、一茶ならぬ「二尋」か。
(俳号として悪くないかも)。
 以上のような「マーク・トウェーン」のいわれを、やはり中学生のころに教わり、その後も「ジョルジュ・サンド」や「ジョセフ・コンラッド」など、ぼくはさまざまなペンネームに親しんだ。大学を出てから東京へ来て、日本語を学ぶ中で「俳号」に遭遇、驚いた。
 否、「一茶」も実はペンネームだったというのは、驚くほどの発見でもなかったが、しかしプロフェッショナルな haiku poet のみならず、趣味でひねっている人口までも十中八九、れっきとした haiku pen name を持っているという事実−−それは驚嘆に値した。一家に一号、とまではいかないにしても、ともかく日本の「平均ペンネーム普及率」は、米国のそれに比べて正に桁違い。




 俳号のことに出くわした最初のきっかけは、お習字だった。少し日本語ができるようになったぼくは、近所の書道教室に通い出し、毎週土曜日の夕方、根岸治子先生に手取り足取り指導してもらった。そしてほとんど毎回、教室の隣の部屋で先生のお母さんも、ぼくら生徒よりもっと集中して、何か綴っているらしかった。ある日、早めにお邪魔に上がってみると、先生はまだ用事で出かけていて、そのお母さんとおしゃべりすることに−−。
 彼女が綴っていたのは、句会のための「詠草」、つまり出席予定のメンバーから送られた投句を、プリントにまとめていたわけだ。おばあさんは複数の句会の幹事をつとめ、同人誌の発行もしている。だが、一回目はそんな詳しい話ではなく、ただその同人誌の最新号を開いてぼくに見せ、「こっちがみんなの句で、下に並んでいるのは、作った人の俳号です」。それから自分の俳号「明月女」を、メモ用紙に大きく書いて教えてくれたのだった。




 おしゃべりが盛り上がっていくうちに、ぼくは「イングリッシュにすると・・・・」と、そのメモ紙にまた大きく Bright Moon Woman を書き加えた。けれど、ずいぶんあとになって、ホントは「明月」イコール「名月」と分かった。
 英語では「中秋の名月」を、収穫の始まるころに現れるので Harvest Moon と呼ぶ。ペンネームとしては Bright Moon より Harvest Moon の方がバッチリ決まる感じだが、ニュアンス的には、かなりのズレが生じる。明るさではなく、豊饒な艶っぽさが強調され、多産な、そしてどこかしら肉感的なイメージになる。
 そもそも俳号というのは、訳すべからざるもの、そのままローマ字に置き換えるべきものといっていいのだろう。
 One Tea もおかしいし、Banana も変だ。



アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。絵本に『カエルのおんがくたい』、翻訳絵本に『どんなきぶん?』(ともに福音館)、近著に『トロピカルショッピングセンター』(フレーベル館)など 。
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