アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
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 西アフリカのアシャンティ族に、こんな諺があるという。「一個の嘘が千個の真実を腐らせる」。
 嘘の大小や性格によって、きっと計算誤差はあるだろうが、一応「千個」を目安に、例えば今回の「湾岸ワンモアタイム戦争」を振り返ってみると、おびただしい数の真実が腐敗に処せられたことになる。
 いや、戦時下はおろか、攻撃開始前の世論の「下ごしらえ」段階だけでも、毎日、万単位で真実が腐らされていったのだから。中でもとりわけ強烈な腐敗臭を漂わせたのは、英国政府が二月初めに「サダムに関するマル秘スパイ調書」としてものものしく世に出したシロモノだ。実際の中身は盗作した文章の寄せ集めで、信憑性(しんぴょうせい)は皆無、あっという間に専門家に見破られ、数日して英語のマスコミで「裏目に出た策略」と大きく皮肉られた。




 ぼくはそのとき、ちょうどニュージーランドにいて、ホテルの部屋にサービスで届いた The New Zealand Herald 紙で「調書」のことを知り、滞在中にテレビのニュースでも何度か見た。もちろん SHOCK AND AWE(衝撃と恐怖)の作戦名が発表される以前の出来事だったが、ぼくは早々と英米の浅はかさに衝撃を受け、両政権のプロパガンダの質の悪さに、改めて恐れ入ったのだ。
 この「調書茶番劇」は当然、日本でも話題になって紙面や誌面を賑わしていることだろう。だれがどういう社説を書いているか、スポーツ新聞はどんな見出しを捻り出したか(自分が編集長なら「濡れ衣テーラーの英国、神の手も借りた!」とか)、ニッポン政府はどうコメントしたのか。そう思って東京へ戻り、わが家の玄関にたまっている新聞をパラパラ漁ってみると、関連記事が見当たらない。図書館で探しても出てこないし、友人知人に聞いても「そんなことがあったの?」とだれも知らなかった。



 大まかな流れはこうだった。軍隊をイラクに進行させる前に世論をどうにかしなきゃと焦り始めたブレアー政権は、ブレーンストーミングをして、急遽、サダム・フセインに関する Secret Spy Dossier(調書) を作り上げることに決めた。でき上がり次第すぐ公表するわけだから、本当は「シークレット」ではないのだ。けれど、ミステリアスなゼロゼロセブンばりのスパイたちが作成したという雰囲気を醸しておけば、あとは「確かな情報筋から」でごまかしても、出所について問い詰められずに済む。そうブレアーのスタッフは踏んだらしい。
 ところがだ。肝心な「確かな情報」の持ち合わせがなかったと見えて、とりあえずインターネットなどで「テロ」だの「サダム」だの「大量破壊兵器」だの、使えそうなテーマで検索、ついにドンピシャリのものを嗅ぎつけた。カリフォルニア州のモンテレーに住むイブラヒム・アルマラシという大学院生が、フセイン政権のあの手この手について書いた論文。ただし、それは1991年の情報に基づいての研究だった。しかも「スパイ調書」とするには、大学院生口調は穏やかすぎたのだ。
 英国のエリート、ブレアーのブレーンたちは、そこで恥ずかしげもなく論文に手を加えた。例えば、フセイン政権が各国の在イラク大使館を対象に「監視した」とあった箇所を、「スパイ行為をした」に変え、「反対派組織」を「テロ組織」に化けさせ、もちろん抜かりなく、12年前の昔話であるということを伏せた。それでも、これだけじゃさびしいと思ったのか、ネット上の『ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー』という軍事専門誌から記事をダウンロードして、切ったり貼ったりで青年アルマラシ君の文とミックスさせた。


      

 そんな「調書」が発表されると、まず最初に米政府のパウエル国務長官は「すばらしい資料だ」と称賛した。それから興味のある一般人が読み出したわけだが、そのうちの一人、ケンブリッジ大学の政治学部の講師をつとめるグレン・ラングワラ氏が、「これってデジャビュ?」と不思議に思い、いぶかしがって調べ出し、ブレアー政権の盗作がバレてしまった。何しろ、アルマラシ君の穏やかさは直したものの、彼の英文法の間違いはそのままだったのだ。また、『ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー』の記事と合体させる際に、うっかり、異なる二つの「テロ組織」を混同してしまっていた。
 専門家とマスコミから追及されても、結局、ブレアー政権は「書いてあることは正しい」と開き直り、そのままブッシュ政権と手を携えて、イラク攻撃に踏み切った。
 何たることか。
 それでも、この「マル秘スパイ捏造調書」は、両政権の本質を知る上では、「すばらしい資料」だ。

 東アフリカのスワヒリ語には、こんな諺がある。「一個の嘘が七通りの終わりを持つ」。
 英米の思い描く終わり方で、果たして話はおさまるのか。



アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。絵本に『カエルのおんがくたい』、翻訳絵本に『どんなきぶん?』(ともに福音館)、近著に『カーロ、せかいをよむ』『カーロ、せかいをかぞえる』(フレーベル館)など。
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