アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
  【第27回】  本年もまた「ごめんなサイ」 →バックナンバーに戻る

サイクリングの途中で

































駄じゃれ賀状の第一弾







































故郷で見つけた、自転車屋の看板


 自分が「ひつじどし」だと知ったのは、来日して1カ月ほど経った1990年7月2日、23歳の誕生日の夜だった。教師をやっていた英会話学校で、いつものようにレッスンを始めて、ホワイトボードにいくつか例文を書き、振り返ってみると、机の上にストロベリーケーキがおいてあった。学校のマネジャーが、生徒たちにぼくのバースデーをリークしていたのだ。
 “Happy Birthday To You”合唱のあと、一切れずつケーキを食べ、照れ臭くて、ぼくは順番にみなの誕生日を尋ねた。ついでに“What's your sign?”と星座も。そして「黄道十二宮」の英語名を紹介、その延長線で、生徒たちから逆に「干支」のことを教わった。次の年には「年男」になるということも。
 幼いころから「メリーさんの羊」を何度となく歌ってきたが、どこか他人事と思っていたら、ぼくは羊! というか「未」だったのか。そのささやかな驚きもあって、日本で迎える最初の正月に、ちゃんと年賀状を作ろうと決心した。高校と大学の美術の授業で木版画をやっていたので、それ用の彫刻刀はアメリカの自宅にあり、母親に頼んで送ってもらった。池袋の画材屋で版木と画用紙の葉書を求め、彫ってみたら出っ尻の羊の絵になった。送るべき相手は多くなかったけれど、一枚一枚の余白に「謹賀新年」を間違わずに書くのが、かなり時間の要する作業だった。
 次の年、版木のB面が残っていることだったし、挨拶を「明けましておめでとう」にして、柿の木の枝に腰かけた「さるかにがっせん」の猿のポートレートを彫った。また、その次の年は近くの商店街の鶏肉屋で、吊るされた鶏をスケッチさせてもらい、卵数個あしらって一番短い「迎春」で仕上げた。

 そんなぼくの年賀状作りにとって、1995年はひとつの転機になった。
 「亥年」ということで、その前の12月中旬、鉛筆と筆ペンとスケッチブックをリュックに、上野動物園へ出かけた。パンダもインド象も素通りして、「東園」を回り、それから「イソップ橋」を渡って「西園」もぐるっと回った。ところが、猪が見当たらない。作業服の職員に尋ねてみると、「ここ上野では、猪は飼育していません。多摩動物園なら・・・・・」。
 少し拍子抜けしたが、そういわれたとき、ちょうどシロサイの放飼場の前に立っていた。「猪突猛進」ときたら、犀は猪に勝るとも劣らなかろう。ピンチヒッターをやってもらえる手はないだろうか。デッサンを開始して、はっとひらめいた――謝罪の挨拶にすればいいのだ! 「上野動物園にイノシシはいない。ごめんなサイ」と。
 年賀状が刷り上がり、いざ言葉を書き込むとなったら、ぼくは何だか後ろめたい気持ちになった。立派なシロサイを、真っ黒く刷り、しかも駄じゃれのネタにしている。そういえば、放飼場の柵の名札に英語名の“white rhinoceros”も記してあったが、体色は白ではないのにどうしてホワイトなのか。もちろん黒でもなく、茶色がかった灰色といった感じだけれど、普通なら“grey rhinoceros”となりそうな。年賀の切手を買った帰りに、図書館で調べてみた。
 シロサイのひとつの特徴は、地面に生えている草を効率よく食むのに適した口先だ。平たくて、横幅がかなり広い。オランダから南アフリカへ移民した人々は、シロサイの口の幅に注目して“weit rhino”、つまり「広い犀」と呼んでいた。が、あとからアフリカへ渡った英国人の耳には、その“weit”が“white”に聞こえたらしい。そしてイングリッシュのミスが、そのまま日本語名にも反映された。
 しかし考えれば、ぼくがデッサンしたのは不忍池のほとりにいる、いわば下町住まいの犀だ。東京の下町には「シ」と「ヒ」の区別など存在せず、「白犀」も「広犀」も、どっちも「シロサイ」でいい。そんな話を書き込むスペースは年賀状にはなかったが、でもネーミング自体が駄じゃれみたいなものだと分かり、「ごめんなサイ」も許容範囲かと、後ろめたさは払拭された。

 「犀年」ならぬ「亥年」の夏に、ぼくはミシガンへ帰り、幼なじみが故郷のクラークストンで開いたレストランに足を運んだ。メインストリートに面していて、左隣りには自転車屋があった。そしてその看板の絵が、なかなかふるっていたのだ。ヘルメットをかぶりピッタリのウエアで決めている犀が、レーシング用の自転車にまたがってペダルをこいでいる。猪突猛進中だ。なるほど、まさに犀クリング! 「ごめんなサイ」をはるかに超える上出来の駄じゃれに感心して、しばらく看板に見入っていたが、おや待ってよ、英語の“rhino”と“cycle”では、しゃれになってないではないか。
 店に入ってみると、オーナーはぼくと同じぐらいの年格好の白人男性。イメージキャラクターに犀を採用した理由を尋ねると、「小さいころからなぜか好きで、犀の突っ走る勢いにあやかりたいと思って…」と返ってきた。
 「ということは、ジャパニーズとは関係ないわけですね」。
 「えッ? 何か?」
 そこで犀クリングを英語で説明することに。相手はうなずきながら「日本人の客がきてくれるといいけどな」と。知らないうちにジョークを飛ばすのも「犀能」といえるかどうか。ともかく、それが決定打となって、ぼくは以来、毎年、何とかのひとつ覚えで駄じゃれ賀状を作り続けている。
 「寅年」には、妻とのブレーンストーミングの結果、「今年は形にトラわれずにゆきタイガー」とダブルバージョンを達成。「卯年」のときは、兎の体のパーツをばらばらに描いて「ウサばらし」と、縁起でもないタイトルをつけた。ちゃぶ台の下にへばりついて火を吹く小さな龍が、「こたつ」として「辰年」のカードを飾った。

 ぼくの日本滞在は、もう干支の2周目に突入した。今度の「申年」、まだデッサンはできていないが、構想はほぼ固まりつつある。日本猿が九匹、身を寄せ合っているという絵に、「本年も皆様にはよいことが、くサルほどありますように」。
 ただし、夫婦共同で出す賀状枚数も少なくないので、版画を彫る前に、まずワイフにコンサルティングしないと。


アーサー・ビナード アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。絵本に『カエルのおんがくたい』、翻訳絵本に『どんなきぶん?』(ともに福音館)、近著に『カーロ、せかいをよむ』『カーロ、せかいをかぞえる』(フレーベル館)など。
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