アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
  【第34回】  蝉たちの沈黙 →バックナンバーに戻る

『朝日新聞』で「日々の非常口」(木曜夕刊)が好評連載中のアーサーさん





















































駅構内で見かけたセミのポスター

 「池袋駅」と「静かさ」とでは、何だか相容れない関係のように思えていたが、先月の初めから、ぼくの中では両者が絡み合っている。
 その日、山手線に乗ろうと改札口を通ってホームへ向うと、階段の手前の壁にバーンと、深い緑の山間の写真が貼ってあった。一畳くらいの大きさで、真ん中に白抜きで何やら書かれ、近寄ってみるとおやッ、ぼくの母国語だ。

how silent!   the cicada's voice soaks into the rocks    Basho

そしてその上に小さく、親切にもカタカナのルビもふられている――「ハウ サイレント ザ シケイダズ ボイス ソークス イントゥ ザ ロックス バショー」と。おまけに、ちょうどその「シケイダズ」の上に一匹の蝉の絵が、やはり白抜きであしらってあった。

 芭蕉だ。『奥の細道』で立石寺、通称「山寺」まで足を延ばしたときに詠んだ名句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の英訳。と同時に、目の前のイングリッシュ・バージョンの味わいが、原作のそれとはまるで違うことが気になった。あえてたとえるなら、芭蕉の元の句がスースーするハーブ入りの喉飴で、ポスターに載った英訳は包装のビニールをつけたままの喉飴みたいなものか。後者をしゃぶってみると、形状からして何なのかは見当がつくけれど、広がるはずのうまさが出てこない。
 100%ダメというわけでもない。「岩にしみ入る」の部分の訳は、まあ合格ラインといった感じだ。また「蝉」を cicada に置き換えている点もいい。英語で蝉を指すのに locust を使う人もいるが、その単語はダイミョウバッタやトノサマバッタやジュウシチネンゼミなど、ともかく数多く発生する虫をみんな一緒くたにした名称だ。読者に生態も姿もはっきり伝わらないし、昆虫に対して失礼だ。蝉は cicada と訳すのがいい。
 ただ、場合によっては複数形のsをつける必要がある。この句の場合は恐らく、というか多分、いや、九分九厘、孤独な一匹ではないだろう。従って所有形の 's のアポストロフィをちょっと右へ移動させて cicadas' に。ついでに「声」も複数の voices にして、「しみ入る」を soak と三人称複数に直しておけば、一応「蝉たちの声々」にはなる。でもこの訳の一番の問題は、出だしの how silent! だ。
 「無声映画」のことを英語で silent movie とか silent film という。被告人が「黙秘する」ことは remain silent だ。The Silent Spring といえばレイチェル・カーソンの名著『沈黙の春』。銀行に備えてある、音は出ないが警察に連絡がいく警報を silent alarm と呼ぶ。ことわざの「沈黙は金」では、名詞形が使われて Silence is golden となる。映画『羊たちの沈黙』も、原題は The Silence of the Lambs だった。
 つまり silent の主意は、無音・無声の状態。もちろん「静か」(あるいは「閑か」)の英訳の選択肢の一つに数えられるべきだし、静かな聖夜をうたった「きよしこの夜」は Silent Night なので、前例がないわけではない。しかし「声」が主題になっている作品を how silent! から始めてしまうと、しょっぱなから不条理に陥りかねない。
 芭蕉が打ち出している「閑かさ」というのは、音が一切ない状態ではなく、人間の喧噪から離れた閑静さだ。蝉がいっぱい鳴いても、それを包み込んで「閑かさ」であり続けるほど奥が深い。 silent をやめにして、例えば still か calm か、あるいはその名詞形を使ったほうが賢明だろう。 peaceful という手もあるか・・・・・。

 ここまで気になり出すと、自分で英訳を試みるしかない。

  Up here, a stillness ー
  the sound of the cicadas
  seeps into the crags.

 山を登り、寺の辺りまできて、そこでこの特筆に値する「閑かさ」に出合ったわけだから Up here, a stillness とした。蝉自体は the cicadas と複数だが、その声が融合して一つの合唱たる sound となる。
 seeps のほうが soaks よりも深くまで、一種のすごみを持ってじわっとくる染み入り方だ。英語でよく岩山の岩を rocks というが、海の岩礁も、どこかで拾って持ち帰れるくらいの大きさの石も、それからグラスにウィスキーを冷やすために入れる氷もみんな rocks と呼ばれる。それに引き替え crags はそそり立ったごつごつした岩を専門に表す。映像的にも発音的にも迫力がある。

 ぼくなりのバージョンができて、一件落着かと思ったら、今度は違うことが気になり出した――JRの広告ポスターのダテ英語を真に受けて一人で批評し、それにも飽き足らず、張り合って英訳までやるヤツは、ぼくだけだろうか。ひょっとしてそんなものをだれも見もしないのかもしれない。
 そこで、東京に在住のアメリカ人の友人に、何げなく聞いてみた。  「駅にまだ貼ってあると思うけど、英語の俳句が載ってるポスターが・・・・・」といったら、彼はすかさず「ああ、あれはひどい。蝉の鳴き声ってサイレントかよ!」と吹き出した。イギリス人の友人も、こっちが切り出したら何のことかすぐ分かって、「あの英語のシラブルが五七五になってないし、出だしがおかしい。第一、ダメな英訳にカタカナのルビをふるって、人をバカにしてるんだよ」と酷評だった。英語ができる日本人の友人も、ポスターをちゃんと見ていて厳しい意見を持っていた。「あの how silent! が何だか、蝉が声に出してる台詞みたいに見えて、とても変な感じがした」。いわれてみれば、そんな解釈も立派に成り立つ。「ツクツクボウシツクツクボウシ」じゃなしに、「ハウサイレントハウサイレント」と鳴いている蝉だったのか!

 立石寺を写真や絵でずいぶん見ているが、ぼくは一度も行ったことがない。でも、自分の英訳が本当に合っているかどうか、山形へ出かけて現場で確かめたくなってきた。そう考えると、あのポスターはなかなか効果的な宣伝だ。
 話によれば、山寺の境内のどこかに「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句碑があるらしい。英訳のほうは、まだ石に刻まれていなければいいのだが。


アーサー・ビナード アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。絵本に『カエルのおんがくたい』、翻訳絵本に『どんなきぶん?』(ともに福音館)、近著に『カーロ、せかいをよむ』『カーロ、せかいをかぞえる』(フレーベル館)など。
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