アーサーの日本語つれづれ草 アーサー・ビナード
  【第35回】  荷物の取り扱い注意 →バックナンバーに戻る

お伴はいつもの青いリュック






































スーツケースの底に入っていたお知らせ


























ワシントンD.C.の玄関口、ユニオンステーション



 百余年前のある日、米国の首都ワシントンのユニオン・ステーションのホームで、マーク・トウェーンは自分の旅行カバンを見つめ迷っていた。預けるべきか、車内に持ち込むべきか・・・・・。カバンの強度が心配だった。
 ちょうどそこへ赤帽が通りかかったので、トウェーンは彼を呼び止めた。「このカバン、預けても大丈夫かな?」
 大男のその赤帽は、「これですか」とカバンをむんずとつかむと、両手で高く持ち上げ、力任せに地面に叩きつけた。「預けると、まずフィラデルフィアでこんな目に遭います」。男は再びカバンをつかみ、今度はホームの反対側に止まっていた汽車の横っ腹に五、六回、思いっきり叩きつけて、「シカゴではだいたいこんな具合」と言った。それから天井目がけてカバンを派手に投げ飛ばし、ドスンと落ちてきたその上に立ち、ワインのブドウをつぶすみたいに全体重をかけて繰り返し踏ん付けながら言った。「アイオワのスーシティーで乗り換える場合、これくらいは覚悟しないといけません」。そして会釈して、最後にこう付け加えた。「もしスーシティーよりもっと西へ行くんでしたら、やはり車内持ち込みにしたほうが賢明でしょう」。

 トウェーンのこの小話がどこまで本当なのか。赤帽の「内部告発的デモンストレーション」は、かなり誇張されているだろう。しかしそこに描かれたカバンの無慈悲な扱い、預けられた荷物が受ける暴力は、決して現実と掛け離れているわけではない。この百余年の間に、自動車産業と航空業界は米国の鉄道を押し潰し、駅の荷物係はほとんど失業してしまったが、「荷物虐待」が減ったわけではない。その主な現場が、空港に移っただけのことだ。
 たまにアメリカのテレビで、「隠しカメラがとらえた○○エアーポートのバゲージの実態」といった映像が流れることがある。見ると、昔の赤帽の実演がほほえましく思えてくる。それはトウェーンのカバンの中から、何も盗まれなかったからだ。ただしそれにもわけがあって、現在の米国の空港労働者に比べ、昔の赤帽のほうがきっとペイが高く、生活が成り立つ程度の収入は得ていたはず。

 旅行業界の専門家は口をそろえていう。盗まれてもいいもの、なくなっても大して困らないものを預けましょう。貴重品や大切なものは、必ず機内に持ち込むべし。
 ぼくはだいたいその通りにして、二十年間いろんな飛行機に乗ってきた。スーツケースが行方不明になったり、ぶっ壊されたり取っ手がもがれたり、また、何度かは中身を物色されたり掻き回されたりもした。でも「被害届」を出すほどの被害はなかった。そもそもそれほどのものは入れていないからだ。
 今年の春に一時帰国した際、国内便を利用した。ニューオリンズ行だ。ホテルにチェックインして、部屋でスーツケースを開けてみると、中がゴチャゴチャになっていて、友人へのプレゼントの包装紙が破け、「やっぱりバゲージの連中にやられたか」と思った。何かなくなってはいないか、中身を全部出して確認し始めたら、底のほうに Department of Homeland Security (本土安全省?)と Transportation Security Administration(運輸安全局?)からの Notification of Baggage Inspection(要するに「勝手に開けて調べました」の知らせ)が入っていた。飛行機の搭乗券くらいの大きさの紙一枚に、くどくどしい文章の最後に、検査を担当した人のID番号を書き込むためのスペースがあった。が、そこは空欄のままだった。

         *  *  *  *

 日常生活でぼくは、いつもどこへ行くにもバックパックを背負って、そいつを「リュック」と呼んでいる。旅行のときは、機内持ち込み用にもう一つ、ふだんの「リュック」より一回り大きいバックパックを背負う。そしてそっちのほうは「バックパック」と呼ぶ。「リュックサック」がドイツ語から来ているだけで、「バックパック」より小さいなどそんなニュアンスはないと解ってはいるが、何となくずっとそう使い分けている。
 常用の「リュック」の横幅や、後ろへの出っ張り具合など、その寸法はまるで自分の一部のように、感覚として体に染み込んでいる。あまりにも染みてしまっているので、旅行用の「バックパック」を背負うときでも、それが「リュック」だと錯覚を起こすこともある。そして例えば成田行の電車の中で、ふっと振り返った拍子に、隣の人にぶつけてしまったりする。飛行機に乗って、上の棚に載せようと肩からはずして、後ろの人にうっかりぶつけたことがあるし、到着して棚から下ろし、背負い込んで同じことをやらかしたことも。しかも、妻に注意されるまで、他人に迷惑をかけたことさえ、こっちは気づいていなかったのだ。
 いつもの「リュック」で旅行したほうが・・・・・とも考えてみるが、そうするとやや大切なものを、スーツケースといっしょに預けるハメになりかねない。

 そういえば『イソップ』にはこんな話があった――。「ギリシアの神プロメテウスが、人間という新しい生き物をたくさんこしらえて、だいたいできあがったところで、彼は一人一人の肩に、二つの袋を掛けた。一つの袋の中に、他人の欠点が詰めてあって、もう一つの袋には本人の欠点が入っていた。そしてプロメテウスの掛け方では、他人の欠点の袋を前に、胸のほうで運ぶことになり、本人の欠点袋は後ろに背負うことになった。そのため、人間は自分以外の人間の欠点がいつでも目に入り、すぐ見つけることができるが、自分自身の欠点には、なかなか気づかないものだ」。

 バックパックを他人にぶつける欠点が直らなければ、胸へ回して運ぶべきか。それにしても、自分の後ろのほうの袋を、空港で預かってもらえたらな・・・・・。


アーサー・ビナード アーサー・ビナード  
Arthur Binard
1967年、米国ミシガン州生まれ。コルゲート大学英米文学部卒。90年に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞受賞。絵本に『くうきのかお』、翻訳絵本に『どんなきぶん?』(ともに福音館)、『カーロ、せかいをよむ』『カーロ、せかいをかぞえる』(ともにフレーベル館)。エッセイ集には『空からやってきた魚』(草思社)。
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