わたしの好きなお国ことば 野田知佑(エッセイスト)
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 鹿児島には八年住んだ。ぼくは隣の熊本県出身だが、そのぼくにも鹿児島の言葉は全く分からない。
 いつか鹿児島の郡部の村の温泉に入った時、周囲の人の話している言葉に耳を傾けていたが、一時間ほど聞いて理解できたのは「オリンピック」という言葉一つだった。ことほどさように鹿児島弁というのは他県人には分かりにくい。
 ある地方では、そこの方言が分からず聞き返すと、その人は傷つき、うつむいて黙ってしまう。しかし鹿児島の人は、他所の人が自分の言葉を分からなければ分からないほど喜ぶところがある。この人たちには劣等感というものがない。言葉が通じないのはすべて相手が悪いのだ。この薩摩中華思想は面白い。
 例えば、鹿児島市内の朝市に行ってみるがいい。近隣の村から来た婆ちゃんたちが野菜や魚などを並べている。そこで買い物をすると、鹿児島言葉が分からず、つい聞き返してしまう。すると婆ちゃんは喜ぶまいことか。隣の仲間を肘でつついて、この他所者の衆はかわいそうに薩摩弁が分からないそうだ、という意味のことをいって笑い、そしてどんどん品物をまけてくれる。このやりとりが楽しいので、ぼくはよく朝市に行って買い物をした。
 あれは半分冗談で作ったものだと思うが、市内のホテルの売店には薩摩日本語対訳辞典といったものが置いてある。そういう辞書を手に朝市に行き、ページをめくりながら「えーと、こしこでどしこな?(これだけで、いくら?)」などといいつつ買い物をすると、まるで外国に行ったみたいで大変愉快である。







 薩摩人はとても気が短い。「ダイコン」などと悠長にいわないで「デコン」。「カキ」は「カッ」となる。いずれも腹に力を入れて、気合いをこめて発声する。
 鹿児島空港でよく見かける風景だが、トイレに入った男たちがあたふたと出てきたあとでジッパーなどを上げている。そんなことはトイレでゆっくりすましてくればいいのにと思うが、鹿児島県人は短気で堪え性がないから、狭いトイレにいたたまれず、つい走って出てきてしまうのである。この堪え性のなさが薩摩隼人の特徴である。西南戦争は一に彼らの堪え性のなさのために起き、そして負けたのもその性格のためだ。
 鹿児島の性格を一番よく表している言葉は「テゲテゲ」だろう。漢字で「大概大概」と書く。ざっと、おおまか、という意味だ。何かあると「まあ、テゲテゲでよかが」という。あまり厳密に考えずに、そこは適当にしておけという意味だ。物事を緻密に考える癖のある北の人間には、このテゲテゲ主義はとても珍しく、カルチャーショックを受けるらしい。「こんないい加減でよく生きていけるものだ」
 この前タクシーに乗ったら運転手がいった。「そもそも西南戦争に勝っていれば日本の標準語は鹿児島弁で、ついでに太平洋戦争も勝っておれば、今頃アメリカ人が鹿児島弁を喋っているはずだ。実に惜しいことをした」
 この薩摩中華主義的テゲテゲ的楽観思考法は素晴らしい。鹿児島語は永遠である。



野田知佑 
(のだ ・ともすけ)
川からの視点で日本と世界を描くエッセイスト。
1938年熊本県生まれ。早稲田大学文学部卒業。
ツーリング・カヌーの先駆者で、日本をはじめ、諸外国で漕ぐ。
とくに「第二の故郷」ともいうべきアラスカのユーコン川では、孤独と自由を求め、たびたび単独行に挑む。
1982年『日本の川を旅する』で第9回日本ノンフィクション賞・新人賞。
公共事業による川の破壊を告発し続ける一連の行動に対して、1998年毎日スポーツ人賞文化賞を受賞。
『北極海へ』『ユーコン漂流』『のんびり行こうぜ』『世界の川を旅する』『ぼくの還る川』ほか著書多数。
2000年に鹿児島から徳島県日和佐町に居を移す。
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