わたしの好きなお国ことば 冨士眞奈美(女優)
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 私の故郷は伊豆半島。三島市の生まれで、育ったのは隣の清水村という文字どおり水の綺麗な村である。現在は町になっているが、柿田川(富士山の地下水脈が泉となって湧き出し、狩野川に合流する1.2キロの川)が流れているので有名かもしれない。私はこの地で小学校から高校までを過ごした。つまり、故郷といっても、十二年間暮らしただけで、その前後の東京生活の方がずっと長いのである。
 にもかかわらず、故郷は?と訊ねられれば即座に「伊豆です」と答える。父は修善寺、母は三島と、ともに伊豆の人間で、先祖を辿っても伊豆にどっかり根を張って暮らしてきた系図だからだと思う。
 祖母の言葉は柔らかくてきれいだった。客が来ると、鈴を振るような声で「おいでなさいまし」と挨拶をする。私たち孫が遊びに行っても帰りがけに「旦那さんによろしくねぇ」とか「奥さんお大事になさいよぅ」などと、声をかけてくれた。

 伊豆には女言葉がなくて、語尾が愛想なく切れる。「・・・・なのよ」「・・・・だわ」「・・・・でしたわね」といった優しい語尾がない。「・・・・だよ」「・・・・だね」と女性も男性のように話すのである。呼びかける時も「オイオイ!」と女性も普通に使った。祖母の優しい言葉遣いが特別耳に心地よくて今も覚えているくらいだから、私の子供時分は、大方「細うで繁盛記」風な会話がとび交っていたのである。
「あんたちい何時ごろむきゃあに行ったらいいらか」
「午前中は勉強しにゃあと怒られるじゃ」
「ふんじゃあ早やお昼で行くべえか」
「わかった。待ってるぜ」
 女の子同士が川へ水浴び(水泳)に行く約束をしたのだ。夕方までにはきゃあんにゃあと(帰らないと)、と安全確認は子供同士でするのである。
 私の家は父の仕事の関係で小学校に入るまで、東京の瀧ノ川で過ごした。清水村の祖父が亡くなり、急に田舎へ移ることになったので、子供達はパニックだった。急いで馴染まなければいじめられる恐れがある。まず、言葉遣いである。母が父を「あなた」と呼ぶのが評判になり、「オイ!あなたの家だぜ、こかぁ」と笑われた。母は隠れあなたになった。
 「ひづりゃあ」「ひづるしい」は眩しい、つまり、日が辛い。「とびっくら」は、駆けっこ。走る、は飛ぶのである。飛び競べ、だろうか。エコヒイキすることを、「ミコとる」といったのはどういうわけかわからない。私がいちばん気に入ったのは「空使い」。すべて承知しているのにとぼけること。いい意味ではない。「空使きゃあ」「空使って」というふうにも変化する。空涙、とか、空っとぼける、の空であろうか。私にはなにか、華々しい形容に思えた。空という何もないものを冠して言葉をでっち上げているのだ。最近は、競馬用語にもなっているという。「あの馬はソラを使っている」のように言い、レース中に集中力をなくして全力で走らなくなることをいうらしいが、弱いフリをして突然実力発揮なんて、愉快な馬ではないか。



冨士眞奈美 
(ふじ・まなみ)
女優。本名・岩崎眞奈美。静岡県三島市生まれ。57年NHK専属女優になり、連続ドラマ「この瞳」で主役デビュー。その後俳優座養成所で学ぶ。70年のドラマ「細うで繁盛記」で人気を得る。現在はテレビ・映画・舞台で活躍のかたわら、エッセイや小説も執筆。著書に「恋よ恋唄」(中央公論社)「とけて流れて」(毎日新聞社)「わたしはだれ? 櫻となって踊りけり」(岸田今日子・吉行和子との共著・集英社)など多数 。
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