わたしの好きなお国ことば 松本 侑子(作家)
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 ふるさとの出雲平野を舞台にして『美しい雲の国』(小学館)という小説を書いたことがある。そこで悩んだのは会話の文章だ。私は標準語の作品しか書いたことがなかったが、主人公は出雲生まれの女の子だ。田舎の少女が、東京風にしゃべるのは不自然だ。そこで少し方言を入れることにした。
 書き進めるうちに、出雲弁が辞書に出ているのかどうか、ふと思い立ち、さしたる意図もなく国語辞典と古語辞典を調べてみた。
  すると驚いたことに、方言だと思っていた語句が、平安、さらには奈良時代の古くから語られていた大和伝統のことばだったのだ。あんまりびっくりして、物語に書き入れたほどだ。

 たとえば出雲では、野菜を切ることを、野菜を「はやす」という。「切る」と言ったことは、一度もなかったと思う。どんな漢字をあてるかも知らず、ごくごく日常的に話していた。
  母は、独身のころに関東で料理の先生をしていたことがあり、「白菜をはやしてください」と指示して、生徒さんがみな、キョトンとしたらしい。そんな思い出話を聞いていたせいか、「はやす」は純粋なる出雲弁だと信じこんでいた。
 しかし高校時代に使っていた『新選古語辞典』(小学館)をひらくと、「はやす」とは「生やす」であり、「切る」ということばを忌み嫌い、縁起のいい「生やす」という語を使ったものという。鎌倉初期の軍記物『保元物語』にも「御爪をも生やさず、御髪をも剃らせ給わで」とある。へぇーと仰天した。
 出雲は、都から遠く離れて人々の行き来が少なかったために、日本人が昔から話していた古い言いまわしが保たれてきたのだろう。




 私がいちばん好きな出雲弁は「ほんそほんそ」。幼いころ、転んで泣いていると、父や母が抱きおこし、「ほんそほんそ ほんそほんそ」とくり返しながら、泣きやむまで頭をなでてくれた。祖父母の家へ遊びに行くと、おじいさん、おばあさんもまた、「ほんそほんそ」と言いながら抱き寄せてくれた。
  これこそは絶対に田舎なまりだと思っていたが、先の古語辞典をひもとくと、「ほんそ」とは「奔走」で、大切にする、子どもを可愛がるという意味の古語だったのだ。
 江戸時代の浄瑠璃『忠臣蔵』から「本蔵が奔走の一人娘の小浪御寮」(本蔵が可愛がっている一人娘の小浪お嬢さん)という文例も出ていた。
 私を「ほんそほんそ」と育ててくれた両親もまた、その父母に、「ほんそほんそ」と頭をなでられて大きくなった。祖父母もまた、親から「ほんそほんそ」と愛されて成長した。だからこそ「ほんそほんそ」が今にのこっているのだ。遠い昔の人々が、幼な子の命をいつくしみ、大事に育ててきた。その情愛を感じさせてくれるこの出雲弁は、ますます忘れがたく、温かく私のなかに響いている。



松本侑子 
(まつもと・ゆうこ)
作家・翻訳家。1963年島根県出雲市生まれ、筑波大学第一学群社会学類卒業、政治学専攻。テレビ朝日勤務を経て『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞受賞。著書は英米文学と聖書からの多数の引用を解説した大人のための全文訳『赤毛のアン』(集英社文庫)、小説集『性遍歴』(幻冬舎)など多数。「松本侑子ホームページ」 http://member.nifty.ne.jp/office-matsumoto/ を公開 。
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