わたしの好きなお国ことば 寒川猫持(うた詠み・眼科医)
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 私の好きな関西弁は、
 「おおきに」
 である。
 「毎度おおきに」なんてふうに使われることが多い。「おおきに」を略して、単に「毎度」ということもある。私の感覚からすれば、この「毎度」は漢字ではなく、平仮名で「まいど」と書く方が相応しい。
 摂津、河内、和泉と渡り歩いた根っからの大阪人である私にとっては信じ難いことであるが、この「まいど」と「おおきに」が物議を醸したことがある。
 東京でいえば首都高速にあたる阪神高速の料金所のオジサン が「まいど」ならびに「おおきに」と言ったのが事の発端である。
 おそらく、大阪へ赴任して来た関西人以外の人々が言い出しっぺであろうかと思われるが、再々利用する訳でもないのに「まいど」とはなんだ、「おおきに」は意味がわからんというのである。
 「まいど」も「おおきに」も共通語に翻訳すると、「ありがとう」の意になる。だから、料金所では「ありがとう」と言え、てなことになった次第である。
 それまでは、「まいど」と言われれば「まいど」、「おおきに」なら同じく「まいど」と返して成立していた阿吽の呼吸が、郷に入れば郷に従うということを理解しない人々のお蔭で、ただいま急速に崩壊しつつあるところである。
 そもそも私は、標準語というモノの存在を認めていない。武蔵野地方でフツーに使われていた東京弁という共通語ならあるが、わが国に標準語はないと考えている。

 むかし琉球、いまは鹿児島県の徳之島出身の白衣の天使諸君の話に依ると、徳之島の学校では、校内においては共通語を話すべし、という貼り紙があるそうな。
 斯くの如きはアナタ、私に言わせれば言語道断の沙汰である。方言は文化である。自ら文化を破壊しようとしてどーする。
 子供の頃、東京へ向かう特別急行つばめ号の中で、ジュースを買って売り子さんに「なんぼ」(いくらの意)と尋いて笑われたことがあったが、これなんか断然、笑う方がおかしい。関西人が関西弁を使わない方が、よっぽど不自然である。
 そりゃ私だって、出るべきところへ出れば共通語を話すようにはしているが、ふだんは当然関西弁である。大阪弁と言いたいところだが、関西地方は言葉がかなり相似しているので関西弁と言わざるを得ない事情がある。
 閑話休題(それはさておき)。
 阪神高速は、やっぱり「まいど」か「おおきに」やろ、と私は申しあげたい。阪神高速道路公団のお達しに依り、料金所のオジサン達は「ありがとう」と言う場合が多くなったが、そんなに改められたのでは当方の勘が著しく狂うから、私は「ありがとう」と言われる前に、「まいど」と言うことにしている。



寒川猫持 
(さむかわ・ねこもち)
うた詠み・眼科医。本名・寒川淳。1953年、大阪府生まれ。37歳から短歌を始め、歌集「ろくでなし」「雨にぬれても」で注目され、96年には歌集「猫とみれんと」(文藝春秋)を刊行。毎日新聞大阪本社版で「子ども歌俳教室」、産経新聞で「産経歌壇 風の吹くまま」を連載中。ほかに、エッセイ集「面目ないが」(新潮文庫)、「言うてすまんが 猫持のトホホ相談」(新潮社)、「苦しい目 楽しい目 人生なんでんかんでん」(講談社)など。
ホームページ「猫持ちのどこでもドアー」 http://www.nekomochi.com/
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