わたしの好きなお国ことば 夏目房之介(マンガ・コラムニスト)
  【第9回】  東京は「お国」か? →バックナンバーに戻る

 「お国ことば」という言葉に、東京ほど似つかわしくない場所もなかろうと思う。
 第一、ここは江戸時代、国(今でいう藩)ではなく「公方様のお膝下」、つまり別格だった。いいかたをかえれば外からつねに人が混じる雑種の地である。
 以前、東京に生まれた自分のルーツさがしの延長で読んだ本に、3代以上東京に住んでいる純東京人はすでに10%とあった(朝日新聞東京本社社会部「東京人考」81年刊)。その時「なぁんだ、9割外来種の土地で江戸っ子だ、東京っ子だとかいってんのか、つまらねぇ」と思った。10代後半から始まった僕のルーツさがしは、30代になったそのあたりで一段落つき、そんなこたぁどうでもよくなった。
 息子達の言葉には、学校の教師の「お国ことば」が移り、テレビの影響であやしげな関西弁も混じり、まことにいい加減だった。はじめは少し注意したりしたが、考えてみりゃ彼らを直すほどリッパな言葉を、こっちだって使っていない。
 標準語という中立的で互換性の高い、そのかわり平坦な言葉で育ったのだから、強力なニュンスの磁場をもつ関西弁などに魅力を感じるのも無理はない。僕自身がそうであったように。そも言葉は変化するのが本性なのだ。
 とはいえ浅草の鍋料理屋で、いきなり「あらヤだよ、この人ぁ、ネギを半生で食べてるよっ! それがおいしんだよ!」と、怒られてんだか、誉められてんだかわからない気っ風のいい言葉を仲居さんからかけられれば、やっぱりうれしい。

 東京の言葉は何も下町のお職人風ばかりではない。旦那衆的な、もっとおっとりした話し方もあり、父などもそうだった。比較的ゆっくりと、しかしじわじわと面白味の出てくる話し方で、少し女性的な柔らかみもある。
「夏さぁ、カヤぁつって・・・・・寝てたらね・・・・・顔ぉ、なんか撫でる奴がいるんだよ・・・・・何だと思って・・・・・そのうち頭がはっきりしてきたらサ・・・・・猫なんだ、あははは」
 何となく落語っぽい間(ま)で、どうでもイイことを、そこはかとなく可笑しく話す。多分、僕にも幾分か同じしゃべり方が残っているだろう。祖父漱石も落語好きだったようだが、父もまだ町内に寄席のある時代に育ち、落語や講談を当たり前に聞いて育った。
 僕は、自分の地域的な根っこのなさにこだわった十代の頃、落語の口調や可笑しみに「自分らしさ」を重ねて見ようとした。おかげで話し方の端々に落語口調が出る。他人が見れば「ああ、やっぱり江戸っ子なんだ」と思うかもしれないが、落語自体が作られた話術芸なのだから、じつは相当あやしいもんである。
 それでも、大森生まれの喫茶店のオヤジと話していると、東京者同士の会話の間が生み出すやりとりの絶妙な可笑しみに、我ながら感心したりもするのだから、それはそれで「地域性」でもあるのだ。
 どっちにせよ、これが僕の話し方なので、今は必要以上に江戸や東京にこだわることもない。そんな風に考えること自体が、色々混じりあった都会である、この街の「らしさ」かもしれないが。



夏目房之介 
(なつめ・ふさのすけ)
1950年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。99年、マンガ評論における長年の業績で、第3回手塚治虫文科賞特別賞を受賞。著書に『手塚治虫はどこにいる』(ちくま文庫)、『マンガ 世界 戦略』(小学館)など多数。
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