わたしの好きなお国ことば 立松和平(作家)
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 私は高校を卒業して上京するまで、自分の話す言葉が方言といわれるものであるとは、はっきりした自覚を持っていなかった。私は、たとえばNHKのアナウンサーのような言葉遣いをしているのだと、自分のことを思っていた。
 私がはいったのは早稲田大学政治経済学部経済学科というところで、全国から学生が集まってくる。方言の百花繚乱というべきところなのだが、実際にはテレビの影響なのだろうが明らかな方言を話すものは少なくて、「・・・・・ばってん」の長崎、「・・・・・たい」の福岡が目立っていた。そんな中で、首都圏にあってさほど目立たないはずの栃木の私が、なぜかことに目立ってしまうのだ。
 どこがどうと説明は難しいのであるが、なんだか注目を集めてしまう。それはどうもアクセントなどの微妙な言い回しのせいらしい。栃木弁は全体には強弱は乏しくて、明らかな特徴は少ないのであるが、最後に尻上がりになる。もちろんこちらはことに意識しているわけではないのに、真面目に話していると失笑を買う。あまりにも微妙なイントネーションの違いなので、本人としても直すに直せない。
 「・・・・・け」と尻上がりでいう。「行くのですか」というところを、「行くけ」という。「楽しいですか」というところを、「楽しいけ」と語尾を上げていう。また、「行くかい」「楽しいかい」と尻上がりでいうこともある。いずれも尻上がりというのが栃木弁の特徴なのだが、田舎っぽい感じはするにしても、なんとなく人のよいような感じでもある。「行くかい」「楽しいかい」をただ書けば標準語に過ぎないのであるが、話し言葉に微妙なイントネーションの変化があるわけで、「行くけ」「楽しいけ」といったほうが私などにはずっと親しみがある。

 標準語と明らかに単語からして違うことは少ないため、栃木弁は書き言葉にすることが難しい。いったそのままを文字に置き換えたところで、実感を込めることは困難である。
 「好きなんだわあ」
 こう書いただけでは、実感も何もない。これを栃木弁でいう時は、「好きなんだ」までは抑揚もなく平坦につなげ、「わあ」と盛り上げるようにして尻上がりにする。するとにわかに実感が込もり、私などはわくわくしてくるのである。生身の女性がそこにいて、なまめかしい声を発したような感じがしてくるのだ。
 これを小説の中で書く時には、「好きなんだわあ」とベタ足で書くしかなく、これで実感を持たせることはできない。栃木の女を書く困難は、こんなところにもある。
 文学上で方言を書くということは、表面の字面を追うばかりでなく、その言葉を語る人の息遣いまでも描かなければならないということだ。栃木弁は文学の上からは困難な方言ということができると思う。



立松和平 
(たてまつ・わへい)
作家。1947年、栃木県宇都宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。80年、「遠雷」で第2回野間文芸新人賞を受賞。86年、アジア・アフリカ作家会議より第2回「若い作家のためのロータス賞」を受賞。93年、「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞、97年には「毒─風聞・田中正造」で第51回毎日出版文化賞を受賞。また、2002年には初めての歌舞伎脚本「道元の月」を発表。近著に「下の公園で寝ています」(東京書籍)「猫月夜」「島へ 奄美」(河出書房新社)など多数。
立松和平さんのホームページ→http://www.tatematsu-wahei.co.jp/
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