わたしの好きなお国ことば 池内紀(ドイツ文学者)
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 兵庫県南部、瀬戸内海に面した城下町姫路市。そこで生まれ、十八歳まで過ごした。
 旧の言い方では播磨国(はりまのくに)。播州(ばんしゅう)であって、地元では「播州人」などとも言う。お国ことばは播州弁。
 気候温暖で、暮らしやすい。瀬戸内からの海の幸、播州平野の米、背後の山あいからの山の幸。過分なまでに恵まれている。姫路城は「天下の名城」として知られているが、豊臣秀吉が中国筋への監視塔として築いたのにはじまる。自然に恵まれた土地は、保守的な人間を生み出すことを見こしてのことだったのではあるまいか。
 あるいは地震に強いとされていたせいかもしれない。旧国名の播磨の「磨」の字には下に「石」が入っている。だから震災にあわないと、古くから言われていたらしい。明治45年(1912)生まれの文芸学者西山松之助さんは同じ播州の出身だが、その回想記『しぶらの里』に奥丹後の大地震のことが語られている。夕食のときで、ランプがぐらぐらゆれ、自分は表へとび出したが、祖父は悠々と酒を飲んでいた。
 「播磨は石でべっちょうない」
 そんなふうに孫に言ったという。
 播州弁は関西ことばの一つだが、温暖な気候のせいか、やわらかい調子の関西弁を、さらにやわらげて、丸くしたかのようだ。全体にのんびりした印象で、どうかすると、まのびして聞こえる。
 西山松之助さんの祖父が口にした「べっちょうない」は、「別条ない」の崩れた言い方だろう。さしさわりがない、あえて言うほどのことはない、安全だ、大丈夫だ──。「べっちょう」の「う」がとれて、「べっちょない」とも言う。

 わが家では早くに父が死んで、母が働きに出ていた。幼いころ学校から帰ってくると、いつも一人だった。田舎の旧家は家だけが大きい。雨の日など、昼間でも薄暗いのだ。
 「べっちょない、べっちょない、べっちょない」
 呪文のように唱えながら、こわごわ戸を開けた。奥の土間は闇に沈んでいた。何やらえたいの知れぬものがうずくまっているような気がする。
 「べっちょない、べっちょない、べっちょない」
 声に出して自分を励まし、縁側を走ったりした。何かあると、このひとことを呟いていたような気がする。
 高校のころ、当地の保守的で、現世的で、どこかしら用心深い精神風土がイヤだった。まのびした言い方もイヤだった。大学に入ると、飛び立つようにして故里を出ていった。
 その直前らしい、城のお堀でボートをこいでいる写真がある。誰かといっしょだったはずだが思い出せない。同級の好きな女の子だったかどうか。ベレー帽などかぶって、やたらに気どっている。
 老いを知りだしたこのごろ、幼いころの呪文は口にしないまでも、意識のどこかに働いている。死にぎわ、家族が心配そうにのぞきこんだら、そっと手を振って、「べっちょうない」と言うのではなかろうか。



池内紀 
(いけうち・おさむ)
ドイツ文学者。1940年、兵庫県姫路市生まれ。1996年3月まで東京大学教授。著書に、『ウィーンの世紀末』(白水社)、『海山のあいだ』(角川文庫・講談社エッセイ賞)、『ゲーテさんこんばんは』(集英社・桑原武夫学芸賞)など多数。翻訳では、2000年にゲーテ『ファウスト』(集英社)で第54回毎日出版文化賞、2002年に『カフカ小説全集』(白水社)で第39回日本翻訳文化賞を受賞。近著に『無口な友人』(みすず書房)がある。
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