わたしの好きなお国ことば 前登志夫(歌人)
  【第21回】  きけてはりますな →バックナンバーに戻る



























 わたしが生まれ育ち、今も住んでいる山里は、花の吉野山の南方にある、標高五百メートルほどの淋しい所です。下市町広橋と呼びますが、昭和三十年頃までは、秋野村広橋でした。
 秋野川が紀ノ川の上流である吉野川に注ぐ所に出来た山峡の町・下市に合併されたのです。大和下市は、堺や浪速の商人と、吉野の山間部との交易の場で、この国の商業手形が最も早く桃山時代に使用されたといいます。いわゆる「下市札」です。
 さて、大和や吉野の方言は、よほど特殊なものと思っていても、大阪や京都や近江にもかすかに今も残っていたりします。大和びとのやわらかく、思いやりのあるいくつかの方言の一つとして、「きけてはりますな」というのがあります。つらいことや苦しいことのために、心身共に疲れている状態をいたわるとき、「きけてはる」という。おそらく、気が欠けるとか、生気が消える、あるいは気力が枯れる状態をさすのでしょう。
 今でも山人たちは、ふんだんにこの方言をごく日常的に再三使っています。ちょっとした失敗や段取りのミスなどでも「きけた」を連発します。それではこの方言の乱用ということになりますが、「きけた」というつぶやきには、「しまった」では代用できない実感があります。吉野や宇陀(うだ)の山間部に入ると、大和国原の方言がさらに方言化するのでしょうか。
 斑鳩(いかるが)に近い大和郡山市の額田部(ぬかたべ)に住むわたしの友人は、「きける」という方言を正しく用いています。医師であった舅さまは、原因のはっきりしない患者さんを診察して、その病状や病名を告げるとき、「きけてはりますな」と言ったといいます。まさに名医の言葉であり、これほど深い癒しの処方箋はないと思われます。
 これまでわたしは体調を悪くすると、医師や薬に頼らず、怠けて五体を休息させ、自然治癒に任せてきました。幸い樹林に取り巻かれた山家なので、気の欠けているのをそうやってとり戻してきたのです。ところが数年前にC型肝炎にかかっているのが発見されました。この病気も、今までのところ、「きけている」のを自然の生気によって恢復させるという、原始的で無謀なやり方に任せています。
 一昨年は花巻で、昨夏は伯耆大山寺で、わたしたちの短歌グループの夏季大会をしましたので、年寄りの冷や水と家族にわらわれつつ、早池峰山と大山に登山しました。平素は山家でごろごろしている喜寿のわたしにとって、これほど「きけた」ことはありません。 かえりみれば、現代の日本人は老若を問わず、みんなひどく「きけてはる」のではないかと思われます。わたしの命終のとき、木々や鳥や虫が、「きけてはりますな」といたわってくれるにちがいありません。


前登志夫 
(まえ・としお)
歌人。1926年、奈良県吉野生まれ。現代詩の詩作から出発し、また、柳田国男、折口信夫の民俗学を研究する。 55年、同郷の先人・前川佐美雄の影響で、作歌活動を始める。のちに吉野山中の生家に定住し、晴耕雨読の生活を基本として、独自の歌風を開く。歌と民俗の研究集団「ヤママユの会」主宰。作品に、詩集「宇宙駅」、歌集「子午線の繭」「縄文記」(第12回迢空賞)「樹下集」(第3回詩歌文学館賞)「鳥獣蟲魚」(第4回斎藤茂吉文学賞)「青童子」(第49回読売文学賞)、エッセイ集「吉野日記」「存在の秋」「木々の声」「山河慟哭」「明るき寂寥」など多数。
閉じる トップへ
new_copyright2003.gif