わたしの好きなお国ことば 杉本秀太郎(フランス文学者)
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 京ことばは、聞く耳にかどが立たず、まるくておだやかにひびくそうである。私は京都に生まれ育ったので、そういうものかと思うばかりで、いつも判断は保留している。京ことばで口論、いさかいはいくらでもできる。普段の物の言い方はどんなお国ことばでもおっとりしているのが本来でもあろう。
 早口ことばといって、いわゆる標準語を話すべき職業に就くには習熟止むなしの人為的なことばがある。たとえば「特許許可局許可局長」。京ことばは遠慮なく清濁を動かし、音をずらせ、伸び縮みを加減するので「トッキョー キョガギョク キョガギョクチョー」と改変すれば、京ことばでもかなり早くいえる。今の人にはわけがわからなくても、昔の京童(きょうわらわ)には「特許許可局・・・・・」の漢字はおのずとかように発音されたと思われる。昔の京童というのは、平安時代からこちら、維新をこえて明治十年代生まれの京都人までという見当である。やがて普及した中等教育は、お国ことばではいえないことばをいわせるようになった。
 私の祖母は明治十一年、名古屋に生まれて十六の春に京へ嫁にきた。孫に物ごころのついた頃、おばあちゃんに名古屋訛りは跡形もなく消えていたが、明治十二年生まれで生粋の京都人だった分家のおばあさんの話しぶりにくらべれば、語彙はもとより、抑揚あるいはことばの節回しでも、言い回しの妙ということでも、祖母の劣勢はあきらかであった。
 日常のことば、つまり京ことばにおいて、分家の嫁のほうが本家の嫁よりも数段立ちまさっていたのは、ひいては分家の立場を強めることにつながった。それに加えて、祖父の弟が分家の家長なのだったが、弟は何かにつけて兄を押しひしぐ才覚をそなえていた。ところが、この兄弟は、ちょうど私に物ごころのつく四歳、五歳のうちに相次いで他界した。それからの本家の未亡人(祖母)は、分家の未亡人を頼りにするようになっていった。幼い私は祖母の尻にくっついて、筋向かいの分家へ毎日のようにあそびにいった。
 かようなわけで、私が今も京ことばの申し分のない話し手として思い出すのは分家のおばあさん。名はチカ、昭和四十七年没、九十一歳。おちかハンは頻用していたのに、今はもうとんと聞くことの絶えた京ことばを二つだけ。一つは「をば」という助詞、もう一つは「滅相な」という返しことば。
 「をば」は「を」を強めた言い方だが、口調をととのえると同時に、息と考えをもととのえる働きをする。祇園祭に初めて供衆(ともしゅう)として加わることになった二十五歳の夏、裃(かみしも)を着けてもらいに分家へいった。
 「裃着けるまえは、背すじをば、しゃんとお立てやさんか。」
 この「をば」は由緒正しい京ことばであって、『源氏物語』にときどき、『平家物語』には頻々とあらわれる。『古今和歌集』にはあちこちに、『新古今和歌集』にもまれに。
 「おちかハンは、物知りどすなあ」などといわれるごとに、間髪を入れず、抑揚大きく歌うように、
 「滅相な」
と返すおちかハンの声が、耳もとによみがえる。


杉本秀太郎 
(すぎもと・ひでたろう)
フランス文学者。1931年、京都市生まれ。京都女子大学教授を経て、国際日本文化研究センター教授。現在、同センター名誉教授。日本芸術院会員。著書に、「洛中生息」(第25回日本エッセイストクラブ賞)、「文学演技」(第28回芸術選奨文部大臣新人賞)、「伊東静雄」、「徒然草」(第39回読売文学賞・随筆紀行賞)、「平家物語」(第23回大佛次郎賞)など多数。
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