わたしの好きなお国ことば 亀井俊介(アメリカ文学者)
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 岐阜県は昔の飛騨国と美濃国から成っている。飛騨は峨々たる山地。住民には強靱な心を養われた人が多いように見える。美濃は西と東に分かれる。西濃は岐阜や関ヶ原のある地方で、戦国時代を思い起こせば一目瞭然、日本の東西の接点だ。住民の心も西を見、東を見て、敏活らしい。私の生まれ育った中津川は東濃の東のはずれで、信州(長野県)に接している。濃尾平野はここまできて中央アルプスにさえぎられ、中山道の宿場町だったが、一歩足を踏み出せば木曽谷に入るという所だ。住民は「なるい」(よくいえばおだやか、悪くいえば引っ込み思案の)気風を育ててきたのではないかしら。
 飛騨や西濃と違って、ここに大政治家は生まれにくいようだ。実業家も(よくは知らないが)小粒なのではあるまいか。人を押しのけての自己主張とか、派手な社交は大の苦手。私の友人はこの地を訪れた時、東濃人には喧嘩はできないなあ、といった。「ねえねえ」弁に「らあらあ」弁がくっついて、「そうやらあ」「あかんねえ」と最後の母韻に余韻を保たせる。やさしいが、歯切れが悪い。
 のんびりして、静かな風土。中津川についていえば、目の前に品よく恵那山がそびえ、背後に清冽な木曽川が流れる。古風な町並もまだ残っているから、映画『青い山脈』のロケ地になったこともある。私の高校2年生の時(1949年)、学校祭でのクラスごとの教室デコレイションで、私たちは「世界文学全集」というのをやった。入口をむやみに細くして『狭き門』、その先に木の葉を敷きつめて『万葉集』などとうたうわけだ。窓を開けただけで『青い山脈』とやらかしたら、大好評で一等賞をとった。
 こんなふうで人間万事ほんわかしているのだが、それでもどこかに頑張り強いところがあるのではないか。みなさん、よく、「恵那ぞうきん」ということばを口にする。恵那は、この地方の名(郡の名でもある)。そこの人間を「恵那ぞうきん」と呼ぶのである。これにはいろんな意味がこめられているようだ。ぞうきんのように汚れ仕事をするとか、ぞうきんのようにほっておかれても平気だとか。どうも自虐や謙遜の気持で使われることが多いが、私はもっと積極的な意味にとって、このことばを愛している。ぞうきんはしぼられることによって役に立つ。恵那の人間はしぼられればしぼられるほど成長する。自虐に自負をまじえたこういう思いの表現が「恵那ぞうきん」ではないかしら。たぶんこのぞうきん精神のおかげで、東濃にはわりかし多く学者や文人が育っている。
 中津川の信州側の隣り村に、島崎藤村の出生地として知られる馬籠がある。こんど中津川に越県合併するらしい。私たちは高校生の頃、よく藤村の生家の跡までピクニックした。藤村の青年時代の苦労の物語には、「恵那ぞうきん」精神があふれている。私はそんな藤村にあこがれていたようだ。1951年に大学に入るため上京。それからもう半世紀以上たつが、「恵那ぞうきん」のことばから思い出すことは多い。


亀井俊介 
(かめい・しゅんすけ)
アメリカ文学者。1932年、岐阜県中津川市生まれ。東京大学教授などを経て、現在、岐阜女子大学教授。主な著書に、「近代文学におけるホイットマンの運命」(日本学士院賞)、「マリリン・モンロー」、「サーカスが来た!」(日本エッセイストクラブ賞)、「アメリカン・ヒーローの系譜」(第21回大仏次郎賞)、「ニューヨーク」、「わがアメリカ文化誌」などがある。
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