わたしの好きなお国ことば 石飛博光(書家)
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高校2年のとき、1958年






1959年、赤平市での書道講習会






1959年、赤平市での書道講習会







1982年、中国の龍門石窟にて




2003年11月、日展会場で


 私の生まれた北海道赤平(あかびら)市は、炭鉱で栄えた町で、かつて石炭は黒いダイヤといわれ、大変活気がありました。空知川の流れる町を囲む山には、中腹まで炭鉱の社宅が建ち並んでいて、たくさんの煙突からストーブの煙が立ち上る様子や、くず石炭を積み上げた「ずり山」のことを思い出します。
 私がふるさとを離れる1960年ごろから、その石炭産業も衰微して、あちこちで人員整理が行われるようになり、次々に閉山されて、数年前には全部閉山になりました。閉山によって炭鉱(やま)を離れて、ほかの土地で仕事を探す人が多くなるにつれ、町の人口もだんだん減っていきました。
 私が生まれ育ったころは、炭鉱のいちばん活気のある時代で、大学を出た優秀な人がこの花形産業にたくさん勤めていて、そのためこの町は文化面でも非常に充実していたように思います。東京から大相撲や演劇がたびたび来ていたし、町の人々も書や絵や演劇などに積極的に取り組み、楽しむ雰囲気がありました。書では禰津錦雪という先生の塾に町の人や子どもが集まって学んでいましたが、私も小学生の時からそこへ通いました。中学生になってからは、炭鉱の人や学校の先生などにまじって大人の人と同じように学んだのですが、それはとても刺激的で、楽しいことでした。今の書道教育は、子どものレベルに合わせた系統的なやり方をすることが多いようですが、大人の仲間入りをして、少し背伸びして本物に触れるということも時には必要ではないかと思います。
 1960年に高校を卒業して上京し、同じ北海道出身の書家・金子鴎亭先生をたずねて行き、教室の生徒のみなさんの前で、「おばんでした」とあいさつしたんです。「こんばんは」を北海道では「おばんでした」とか「おばんでございます」と言います。私が北海道から来たことがこのひとことでその場にいた人たちにわかりました。この「おばんでした」から私の東京での生活が始まりました。
 東京で学生生活を送るうちに、仲間から「おまえのことばはすごく断定的だ」とよく言われました。「〜でね」というときの「ね」の語尾が東京の人には非常に強く聞こえるらしく、誤解されて「断定的」と指摘されたのです。こちらとしては最高にていねいに優しく言っていたつもりなんですが、気持ちがこもればこもるほど聞く方にはよけいに強く聞こえていたんですね。
 その反対に、東京の人はわりと軽く「バカ」と言いますが、このことばは北海道の人はけっこう強く受け止めてしまうんです。軽い調子で「おまえバカだな」と言うとき、北海道では「はんかくさい」と言います。人を傷つけない気軽な表現としてよく使われます。
 失敗として思い出すのは、東京の高校に勤めていたときのこと、全校生徒に書き初めをさせるのに、「筆をひと晩うるかしてからよく洗って使いなさい」と指示したところ、「『うるかす』(水に浸ける)と言っても東京の生徒にはわからないよ」と同僚に言われて初めて自分の方言に気づく、というようなこともありました。
 私が特に好きなのは「あずましい」。北海道だけでなく、東北など広範囲で使われ、いごこちがいい、とか、気持ちがいいという意味ですが、今も母親の口から出てくるのを聞いたりするとやはりほっとすることばです。


石飛博光 
(いしとび・はっこう)
書家。1941年、北海道赤平市生まれ。東京学芸大学書道科卒業。金子鴎亭に師事。近現代の詩文を書に表現した作品を数多く発表している。日展会員。毎日書道会総務などを務める。主な著書に『石飛博光臨書集』(芸術新聞社)、『ほっとする禅語70』(二玄社)、『一字で年賀状』(二玄社)、『書道創作入門コツのコツ』(NHK出版)、『わたしだけの般若心経』(小学館)など。
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