わたしの好きなお国ことば 佐藤忠男(映画批評家)
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高校2年のとき、1958年


































1959年、赤平市での書道講習会



 私は新潟市で生まれて育った。新潟県は南北に長いので、南と北では方言もナマリもずいぶん違う。私が新潟弁だとなつかしく思っている言葉はじつは越後平野の半世紀前の子供語だと思う。もっと狭く、私自身の生活環境だったあたりと言うほうがいいのかもしれない。新潟市も信濃川の河口近く、町工場や漁師の番屋がたくさんあって、けっこう活気のある町だった。
 そこでは男の子はもちろん女でも、自分のことは「オレ」「オラ」と言った。間違っても男が「ボク」なんて言うことはなかった(男女の一人称が共通であるのはいいことだと思う)。というわけで、いまでも私は自分を「ボク」とは言えない。そんな恥ずかしい明治の東京の書生言葉みたいなものにからめとられたら自分が自分でなくなる感じがするからである。しかし「オレ」「オラ」は新潟でも子どもの言葉で、大人は「ワタシ」と言っていたから、私は「ワタシ」で通している。
 「というわけで」といま書いたが、私の新潟弁ではこれは「そうらすけ」となる。「そうだから」だ。もっとくだけると「だあすけ」でもいい。「だから」である。「だあすけ、オラ、ボクなんて東京もんの言葉はショーシ(恥ずかしく)で言えねこてね」である。最後の「こてね」は、「でしょう?」ぐらいの意味である。ただしこんな言い方はかなり子どもっぽく聞こえるので、成長するに従って、「そうらすけ、私、ボクなんていう東京ふうの言葉は恥ずかしくて使えませんがね」ぐらいになった。
 私は八人兄弟姉妹の五男であるが、家では長兄のことは「兄さん」、次兄のことは「あんにゃ(あにやん)」、三兄のことは「マツさ(正男さん)」、四兄のことは名前の呼びすてで「栄八」もしくは「栄坊」と呼んでいた。年齢の順に正確に一段ずつ敬称の格が落ちている。三人いる姉もそうである。まあこれは家庭内のことで方言とは関係ないが、こういう子どもの頃の呼び方をいつ「兄さん」「姉さん」というふうに統一して切り換えるかが難しく、切り換え損ねると大人になっても直接呼びかけるのに言葉がなくて口ごもることになる。おなじ問題が子どもの頃ごく自然に使っていたネイティヴな方言から、より大人っぽい言葉に切り換えるときにも生じると思う。それが単純に子ども言葉からの切り換えならいいのだが、方言からより標準語に近い言いまわしへの切り換えということになると、「ショーシ」で口ごもるという事態がいちだんと深刻になり困った。
 さて、私が二十六歳で新潟での安定した職場を辞して、文筆業というアテにならない仕事をめざして上京したとき、心配した母がしきりに言った言葉は「ホットーフリになるな」だった。ホットーフリとは先頭に立つリーダーのことで「発頭振り」とでも書くのだろう。私がなにか思想運動の活動家でもめざしていると錯覚して心配したらしい。ホットーフリなんて、それこそショーシで私の柄に合わないのに。


佐藤忠男
(さとう・ただお)
映画批評家。日本映画学校校長。1930年、新潟市に生まれる。1956年に最初の評論集を上梓。以後、映画を主に大衆文化・文学・教育などの評論活動を続けて130冊ほどの著作がある。近著に、「映画評論の時代」(カタログハウス)、「わが映画批評の五十年」(平凡社)、「映画俳優」(晶文社)、「いま学校が面白い」「大人になるということ」(岩波ジュニア新書)、「戦争はなぜおこるか」(ポプラ社)など。
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