わたしの好きなお国ことば 古田足日(児童文学者)
  【第30回】  あずりこずり 山のおんごく →バックナンバーに戻る


城山











川之江の跡地で









川之江の町と法皇山脈












仏殿城から法皇山脈を望む



 ぼくは1927年(昭和2)愛媛県の東端川之江町(今は市)で生まれ、育った。川之江のことばのことを確かめようとして、今は東京に住んでいる兄弟たちに電話すると、六つ年下の弟は即座に「いでらしい」ということばをあげた。このことばは川之江のことばではなく母親の実家がある同じ愛媛県の壬生川町(今は東予市)のことばで、ぼくが中学二年のとき一家はそこに引っ越したのである。
 「いでらしい」というのは長持ちすることで、敗戦後の物資不自由なとき、手に入れた干したそら豆一升は「いでらしい」食べ物だった。また一家の飯炊き係をやっていたこの弟にとって飯を炊く薪としてすぐに燃え尽きる杉板の切れっ端ではなく、長持ちする松の木は「いでらしく」うれしかった、という。
 この話をきいているとぼくの内に「あずりこずり」と「山のおんごく」ということばが浮かび上がってきた。「あずりこずり」は一方ならぬ苦労して、という意味である。小学校のとき今の作文は綴り方といわれていたが、友だちの多くはそれが苦手で、綴り方の時間には、「あーあ、あずり方かぁ」と悲鳴をあげたものだった。
 「山のおんごく」の「おんごく」は「遠国」で山奥の村のことだった。川之江は江戸時代には天領で、当時から商人、職人が住み、和紙づくりが盛んで、今も隣の伊予三島市と共に紙の町である。そのためか「山のおんごく」には見下すような語感もあったが、ぼくはこのことばにロマンとでもいうものをかきたてられた。川之江の南には法皇山脈という緑の山なみがある。小学校低学年のときぼくはいつかこの山の向こうの「山のおんごく」に行ってみたいと思っていた。そこにはわくわくするものがいっぱいあるに違いなかった。
 海岸の城山には戦国時代仏殿城という城があって、落城したとき城の姫は馬に乗って断崖から海中に飛び入って死んだという。その城山の麓に近い浜で泳ぐとき、ぼくはかすむ水平線を見て姫は死なずに海の向こうの「海のおんごく」に行ったらよかったのになあと思ったのだった。「海のおんごく」は子どものぼくがつくったことばだったろう。
 敗戦後、ぼくは大阪、東京で学生だったが、戦中身につけた忠君愛国の価値観を失った混迷の中にいて生活も苦しく、「ひとりの修羅」のように荒れ狂いたいという衝動に駆られたとき、「あずりこずり」がそれをとめた。人みな「あずりこずり」生きているということだったのか、続いて「山のおんごく、海のおんごく」と呪文のように唱えていたと思う。
 すると、ぼくは山と海の向こうにあこがれた子ども時代に帰って、母親がおばさんたちと「そうじゃのもし」と壬生川のことばで話しているやわらかい響きがゆったりとぼくを包んだ。ぼくはしばらくその世界に身をゆだね、やがて力を回復して再び「あずりこずり」の現実に戻っていったのだった。


古田足日
(ふるた・たるひ)
児童文学者。1927年、愛媛県川之江市生まれ。早稲田大学在学中、早大童話会で童話を書き始める。主な作品に、『宿題ひきうけ株式会社』(第7回日本児童文学者協会賞)『大きい1年生と小さな2年生』『おしいれのぼうけん』『ロボット・カミイ』など、評論に『現代児童文学論』(第9回日本児童文学者協会新人賞)『児童文化とは何か』など、また、全集『古田足日子どもの本』(童心社)がある。1994年、それまでの業績により第17回巌谷小波文芸賞を受賞。
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