わたしの好きなお国ことば 松本 修(朝日放送 プロデューサー)
  【第38回】  われは「うみ」の子 →バックナンバーに戻る



1957年夏、自宅裏の海津の浜にて兄弟達と。左が筆者。琵琶湖(うみ)は左側に見えている。












2004年夏、やはり自宅裏の海津の浜にて友人ファミリーと。一番左が筆者。














同じく、友人達と。椅子に腰を掛けているのが筆者。


私は、「西江州(にしごうしゅう)」北部の「うみ(海)」のほとり、海津(かいづ)という町で生まれ育った。「うみ」とは、琵琶湖のことである。「うみ」こそは、江州でいちばん大切なお国ことばである。
 私たち江州人(滋賀県人)は、昔から琵琶湖のことを「うみ」と呼び習わしてきた。「みずうみ」などとは、けっして言わなかった。その一方、日本海や太平洋など塩からい海は、海の中でも特殊なものとみなし、「しおうみ(塩海)」と言ってきた。
 旧制三高ゆかりの「琵琶湖周航の歌」でも、「われは湖(うみ)の子 さすらいの」と、琵琶湖のことを正しく「うみ」と歌っている。また、私の通ったマキノ中学校の校歌でも、「鳰(にほ)のうみ」と歌われていて、これは「カイツブリ(水鳥の一種)の住む、うみ」という意味の、琵琶湖の古い呼称である。
 琵琶湖を「うみ」と呼ぶのは、江州人のアイデアではない。「古事記」でも「あふみのうみ」と呼んでいるし、「万葉集」においても柿本人麻呂が、「淡海の海(うみ)夕浪千鳥汝が鳴けば心もしのに古へ思ほゆ」と、「うみ」と詠み込んでいる。
 一方、平安京の歌人・紀貫之は「土左日記」で、太平洋のことを「しほうみ」と記している。塩からい海を「しおうみ」と呼ぶのは、都人の習わしだったのである。
 江州人は、千数百年前にさかのぼる、そうした古典的な呼び名を、今に至るまで後生大事に護持してきたのであった。都人への敬意と、琵琶湖への深い愛と親しみを込めて。
 さて、わがふるさと海津(まさに海の津である)は、古くは日本海と京・大坂をつなぐ、物資輸送の要衝であった。古い街道沿いに我が家はあり、百三十年以上も前から薬屋を営んできた。幼いころすでに薬は近代医薬に置き替わっていたのに、海津や近隣の在所の人たちは、私の家のことを「きぐすりや(生薬屋)」と昔の名で呼び、私を「きぐすりやのぼん」と呼んだ。夫の調合したうちの風邪薬はよく効いたと、祖母は誇らしげに語っていた。
 家の裏には庭があり、その向こうに、江戸時代に築かれた石垣に隔てられて、広大な「うみ」があった。私たちは「はま(浜)」に出て、よく遊んだものだった。
 「ぼて(タナゴ)」は米粒半分のえさで、いくらでも釣れた。「瓶漬け」をしておくと、「あい(鮎)」がいくらでも入った。「がんぞ(小鮒)」や「はよ(オイカワ)」、「ひお(氷魚。鮎の稚魚)」、「いしんた(ヨシノボリ)」、「ぎんぎ(ギギ)」、「かまつか」、「いさざ」など、有用無用の魚たちがウジャウジャ棲息する、琵琶湖は豊かな「うみ」だった。ところが近年、ブラックバス・ブルーギル禍によって古来の魚たちが激減した。時を同じくして、人々はこの「うみ」を、「みずうみ」と呼ぶようになってしまった。困った事態である。
 琵琶湖は昔からずっと、豊饒の「うみ」であり続けてきたのである。固有の魚たちが絶滅の危機に瀕している今こそ、その幸福な時代を思い返さねばならないだろう。


松本 修氏 松本 修
(まつもと おさむ)
朝日放送 制作局 局長プロデューサー
1949年滋賀県生まれ。1972年、京都大法学部卒業、朝日放送入社。以来、一貫してバラエティー番組の企画・制作に携わる。
主な番組に、「霊感ヤマカン第六感」、「ラブアタック!」、「わいわいサタデー」、「探偵!ナイトスクープ」。現在も、「探偵!ナイトスクープ」のプロデューサーを務める。近年では、局長プロデューサーとして、「大改造!劇的ビフォーアフター」、「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」、「笑いの金メダル」などを立ち上げる。 著書に「全国アホ・バカ分布考」(新潮文庫)がある。
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