わたしの好きなお国ことば 高橋 克彦(作家)
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ビートルズに熱中していた高校時代。



















自宅の窓から見た岩手山。故郷に守られているような感じがする。







 二十歳のときから九年間、故郷の岩手を離れて東京で暮らした。浪人生活が二年、早稲田の商学部に居たのが五年、就職ができず一発逆転を狙って浮世絵の研究に没頭していた二年という九年だ。なんとも思い出したくない鬱屈の連続の九年で、家内という支えがなければ大学も放り投げてさっさと岩手に戻っていたかも知れない。東京の文化の凄さは理解していた。なにしろ研究対象が江戸の浮世絵なのだ。なのに現実の東京にどうしても馴染めない。自分がとてつもない田舎者に思えて仕方ない。高校時代には周りから顰蹙を買うほどのお調子者で、好き放題していたのに、東京では埋没感に襲われ、人の目を避けるように古本屋回りばかりしていた。大学でも目立たない存在だった。そもそも数人の仲間としか口を利かないのである。浪人を繰り返し、クラスのだれより年長だったから恥ずかしいという思いもあったが、一番の理由は岩手弁だった。笑われているという被害妄想にとらわれ、言葉が出なくなる。喫茶店での注文も「コーヒー」とか「ミルクティー」と単語しか口にしない。あれこれ付け足せば岩手の人間と見抜かれてしのではないかと恐れた。そこまでに至った原因はいろいろあるのだが、とにかく辛かった。自分がどんどんスポイルされていく。幸いに故郷に就職口を得て戻れたときはいっぺんに空が晴れた気がした。
  ところがーー
 故郷の仲間たちと会って話をすると、私がすっかり東京の人間になってしまったと言うのである。「昔ゃあだりめぇにへってらったべ」「んだんだ。べっこどごろじゃなぐ、変わったじゃ」「じゃごたれは、しょすってが」(翻訳すると「昔は当たり前に言っていただろ」「そうそう。少しどこじゃなく変わったぞ」「田舎育ちが恥ずかしいってのか」という具合)。これには正直驚いた。そして気が付いた。私は方言で笑われていたのではない。訛り、すなわちアクセントで笑われていたのだ、と。「めんこい(可愛い)」「おもさけなござんす(申し訳ありません)」「おねまりなさってたもんせ(お楽にしてください)」などの方言を口にしても決して笑われることはない。むしろ好感を持って受け入れられる。なのに私は必死で方言を排除した。標準語に直したつもりが訛りは変えられなかったというわけだ。それが都会の人間には哀れな努力と映ったのだろう。自分でも赤面の思いだ。
 そして今は意識的に方言を混ぜて講演を行なったりする。方言に誇りを持てるようになったからだ。岩手の方言には武器や政治に関するものが一つもない。必要のないものだったから生まれなかったのだ。そういう故郷を私は愛している。 好きな言葉に「どでんした」がある。たぶん「動転した」が語源で「びっくりした」という意味だ。これなど本来のものよりずっと驚愕の感じが伝わってくる。


高橋克彦氏 高橋克彦
(たかはし かつひこ)
作家。1947年岩手県生まれ。1975年早稲田大学商学部卒。1983年「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞を受賞し、文壇デビュー。1987年「北斎殺人事件」で日本推理作家協会賞、1992年「緋い記憶」で直木賞、2000年「火怨」で吉川英治文学賞を受賞した。「竜の柩」「炎立つ」「天を衝く」ほか、著書多数。
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