わたしの好きなお国ことば 八代亜紀(歌手)
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5歳の頃。父親に買ってもらった洋服を着ておめかしをして。



小学5年生の頃。このころから歌を歌うことと絵を描くことが大好きだった。



バスガイド時代。




デビュー直後、八代神宮に両親と参拝。



同じくデビュー直後、八代神宮にて。



 歌で故郷のことばを残したい、歌手デビュー35周年を迎え、私は最近そのように考えています。
 私にとっての故郷とは熊本県八代市のことです。私は16歳までそこで育ちました。八代は球磨川(くまがわ)の河口に位置し、八代海に臨む城下町です。八代海は不知火で有名で、別名「不知火海」とも呼ばれています。私は昨年の夏、故郷熊本のことばを歌詞に織り込んだ「不知火酒」という曲を、さらに今年の3月には「不知火情話」という曲を出しました。いずれも故郷色の強い歌で、「不知火酒」は男心を、「不知火情話」は女心を歌っています。
 その「不知火酒」の歌詞の中に「武者んよか」ということばが出てきます。「むしゃんよか」というのは熊本弁で、「むしゃ」は武士のことです。つまり武士のようにかっこいいという意味です。単に見た目のかっこよさをいうのではなく、男気のある人、弱い者を大事にする人、家族を大切にする人、自分が正しいと思ったらとことん突き進む人といった内面を表す意味で使われます。熊本県人を表現することばに有名な「もっこす」がありますが、「もっこす」が良い方向に向かうと「武者んよか」になります。ただし、悪い方向に向かえばただの「がんこ」なんですが。
 子どもの時から、私にとって「武者んよか」男とは自分の父親のことでした。運送業を営んでいた父は、曲がったことが大嫌いで、また義侠心にとんでいて、周囲の人からも「武者んよか」と言われていました。従業員同士でちょっとした諍(いさか)いがあり、些細な誤解から当事者が警察に連行されたときも、誰も悪くなかったと知るや、即座に警察まで直談判に駆けつけたのでした。その姿を見て、子供心に「武者んよかね」と思ったものです。父はまた、書や絵画、浪曲、歌などもとても上手で、現在私は歌手活動ばかりでなく、絵を描いていますが、これらはすべて父のDNAを受け継いだものだと思っています。
 熊本弁はイントネーションを使い分けることによって、感情をうまく表現できることばだと思います。私が歌手としてデビューしてからも、父はいつも玄関に迎えて「よかねぇ」「うまかねぇ」と褒めてくれたのです。その父のことばがどれほど私の支えになったことか。私が今あるのも、そんな父のことばのおかげだったと言っても過言ではないでしょう。ただ、ある時その言い方に微妙な違いがあることに気付きました。どうも「よかねぇ〜」「うまかねぇ〜」と語尾のところを長く伸ばしていうときは本当によかったと褒めてくれているときで、「よかね」「うまかね」と末尾が短く下がるときは、手放しで褒めているわけではなかったのです。いつしかそうした父の言い方の調子で、曲の出来不出来を判断するようになりました。父に「よかねぇ〜」「うまかねぇ〜」と言って貰いたくてどれほど頑張ったことか。
 熊本弁はかわいいことばだとも思います。「好きですか」というのは熊本では「好いとっと」と言います。それも最後のところを「好いとっと〜」と伸ばして、さらに上げて言うんです。そう聞かれて、自分も相手のことが好きだったら、「好いとっと」と今度は少し最後のところを引いた感じで答えます。「とっと」「とっと」とまるでニワトリのよう。熊本弁には上げたり下げたり、さらに引いてみたりと、独特な調子があります。そんな熊本弁の良さを少しでも伝えられたらと思っています。


八代亜紀氏 八代亜紀
(やしろ・あき)
歌手。1950年熊本県生まれ。1971年「愛は死んでも」でデビュー。翌年、 NTV「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き。1973年「なみだ恋」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。以来「もう一度逢いたい」(1976年) 、「愛の終着駅」(1977年)、「舟唄」(1979年)等数多くのヒット曲がある。1980年、「雨の慕情」で日本レコード大賞大賞受賞。他、受賞多数。歌手活動のかたわら絵筆をとり、1998年からフランスのル・サロン展に5年連続で入選。新曲の「不知火情話」は2005年3月発売。オフィシャルサイトのURLは、http://www.mirion.co.jp/
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