わたしの好きなお国ことば 八名信夫(悪役商会リーダー)
  【第43回】  へこたれちゃおえんぞ →バックナンバーに戻る


6歳の頃。馬に乗った兵隊さんが夢だった。


岡山東高時代。野球部でなかったら卒業は・・・



明治大学野球部合宿所。洗濯板は投手の指先を強くすると言われていた。



東映フライヤーズの後身、現日本ハムファイターズのユニホームを着て。



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 岡山市出身の俺が故郷で育ったのは19歳の時まで。その後は東京に出てきため、実際の会話の中で岡山弁を使うことはほとんどなくなってしまった。だが、何かの折りに岡山弁が口を衝いて出るときがある。
 「へこたれちゃおえんぞ」
 中学・高校と野球一筋だった俺は、グランドでしょっちゅうそう言われた。
「おえんぞ」というのは「だめだ」ということで、「へこたれちゃおえんぞ」は腰くだけになっちゃダメだ、ギブアップしたらいけないという意味だ。
 そう言われると、「ガンバレ」などと言われるより、ずっと頑張れたものだ。
 神宮の星になることを夢見て、明治大学野球部に入部してからは、自分で自分のことを「へこたれちゃおえんぞ」と励ましてきた。そのときも岡山弁じゃないとピンと来なかった。
 東京で暮らすようになってから岡山弁を使う機会はめっきり減ってしまったが、岡山弁を捨てきれないと痛感したのは、プロ野球の東映フライヤーズを試合中の怪我で辞めて、俳優になったときだ。台詞を言うときどうしても岡山弁が抜けなかったのだ。自分では共通語で話しているつもりなのに、まわりから方言を直せと言われる。ところが意識して岡山弁をなくそう、共通語で話そうとすると、自分でも味のない演技になってしまうことがわかった。
 そこで悪役専門の俺は、どうせやるなら岡山の悪役をやろうと決心した。請けた仕事はすべて岡山弁でやる、そう宣言したのだ。そうしたら、自分でものびのびと演じられ、演技に自然さが出てきたことがわかった。
 おまけに岡山弁にしてよかったことがあった。台詞が覚えやすかったのだ。岡山弁だと安心できたからかもしれない。
 だが、世の中は都合のいいことばかりではなかった。ただ一つ、武士の役だけは困った。岡山出身の武士が登場する時代劇などそうそうあるわけがないので。
 岡山の方言に「のふーぞー」ということばがある。漢字で書くと「野風増」であろうか。「小生意気な」とか「図太く大胆な」といった意味だ。決して悪い意味ではない。子どものころオヤジに「男なら、のふーぞーに生きていけ」と言われたものだ。オヤジのことばを忠実に守り、「へこたれちゃおえんぞ」と言い続けたからこそ、悪役に徹することができたのだと思っている。
 現在「悪役商会」という悪役俳優の劇団を率いているが、稽古で怒鳴るときはいまだに岡山弁だ。
「いいかげんにさらせ」
どことなく温かみが感じられる。俺自身もそう怒鳴りながら、どこかホッとしている。
 今、稽古場で若い俳優たちに岡山弁を教えている。今年の11月19、20日に岡山で父が経営していた「千歳座」という芝居小屋を題材にして、「婆ちゃん」という劇を上演するからだ。岡山の役者たちとやくざの交流を描いた人情喜劇の中で、岡山弁は重要な役割を担っている。
 今や故郷の食べ物は、故郷以外の土地でも食べることができる。だが、故郷の言葉は故郷に帰らなければ味わうことが出来ない。そんな温かみのあるお袋の味のような方言を、いつまでも大切にしたい。


八名信夫氏 八名信夫
(やな・のぶお)
悪役商会リーダー。昭和10年、岡山市生まれ。明治大学からプロ野球東映フライヤーズにピッチャーとして入団。試合中の怪我のためプロ生活を断念、映画俳優となる。「網走番外地」「人生劇場」「飢餓海峡」「仁義なき戦い」など、東映映画全盛期に悪役俳優として悪の限りをつくす。昭和58年、悪役商会を結成。「キューサイ青汁」などのCMに出演。映画生誕100年記念日本映画批評家協会特別賞受賞。著書「こんにちは八名信夫です」「悪役になろうぜ」「くろい天使」など。悪役商会のホームページ http://www.mmjp.or.jp/akuyakusyoukai/
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