わたしの好きなお国ことば 佐藤勝彦(宇宙物理学者)
  【第44回】  ガイナーズ →バックナンバーに戻る

小学3年生のころ。
























小学5年、学芸会演劇「赤鬼、青鬼」の木こり役(左側)。演劇ではいつもちょい役か、ひどい役しかさせてもらえなかった。




























中学時代、アマチア無線局開局。新聞地方版にものった。当時四国で一番若いハム(アマチア無線家)だった。すべて自作の無線機の前で。



 私のふるさとは、四国香川県、讃岐である。ふるさとを離れてすでに40年余、高速道路、自動車道も整備され、多くの新しい建物も建ち風景もすっかり変わった。しかし私の脳裏にうかぶものは半世紀前の農村風景である。私は綾歌郡川津村、いまの坂出市川津町に生まれた。かつて坂出市とその周辺は塩業が盛んで、私の母方の実家は広大な塩田を持っていた。強い日射しで海水が蒸発し塩が砂に付着する。炎天下に人々がこの砂を集めている風景は目に焼き付いている。ものすごい重労働である。塩田も今は、工場や住宅となっている。一方、私が生まれた川津は海とは反対側の農村地帯である。東西南北、高くはないけれど山に囲まれている。讃岐平野には、おむすびのような山が点在しているが、私の実家の北側にある飯野山はその中でも美しく、讃岐富士とよばれている。農村地帯なので用水路が張り巡らされており、また小さな川もあった。小学校からかえると、「カチコちゃん、なんしょん、あそぼ」と近所の子供がくる。周りの民家はほとんど同族で、どの家も佐藤さん、カツヒコという名前も発音しづらいため、カチコちゃんとよばれていた。「なんしょん」は讃岐弁で、何してるのという意味。彼らと群れて遊ぶのが日常で、用水路で泥まみれになりながらザルを使ってどんきゅ(讃岐弁で、どじょうのこと)を捕まえたり、川で蟹や時にはウナギも捕まえた。当然空気もきれいで、晴れた日にはいつも天の川がきれいに見えた。特に月のでない夜は漆黒の闇となる。この中に恐ろしいほどの数の星々が瞬きもしないで堂々と輝いている姿は、神々しいものだった。私の専門は宇宙の始まりや進化を論ずる宇宙論であるが、幼いころのこの経験は、この研究を選んだ一つの動機になったことは確かである。学校も嫌いではなかったが、どうしても嫌いな行事があった。それは学芸会に必ずすることになっているクラス対抗の演劇である。いつも日焼けした真っ黒な顔をした、猿づらの子供にヒーロの役が来るはずがない。ある年は、ホントに赤いおしりをしたお猿の役が回ってきた。
 勉強も「がいに」しなかったが、私の両親が教育熱心であったため、香川大学附属中学、さらに受験校である丸亀高等学校にやってもらった。「がいに」とは讃岐弁で、ものすごくとか、とてもたくさんなどを意味することばである。この言葉は「がいな」となると強いという意味になる。四国アイランドリーグがこの4月開幕した。四国は野球も盛んで、高校野球では強い。しかしこれまで四国にはプロ野球のチームはなかった。きわめてマイナーなリーグであるが、四国四県から一チームずつ出場し優勝を争う。香川県のチーム名は、「オリーブガイナーズ」。 オリーブは小豆島特産、香川県の県木でもある。ガイナーズはこの讃岐弁の「がいな」から取ったものである。はたしてホントに強いのか? 高知県の「ファイティングドッグス」、つまり土佐犬に、また愛媛県の「マンダリンパイレーツ」、つまり塩飽諸島の海賊に勝てるのか?楽しみである。


佐藤勝彦氏 佐藤勝彦
(さとう・かつひこ)
宇宙物理学者。1945年、香川県坂出市生まれ。京都大学理学部卒。京大助手、ニールス・ボーア研究所(デンマーク)客員教授を経て、現在、東京大学大学院理学系研究科教授、東大大学院理学研究科附属ビッグバン宇宙国際研究センター長。1981年にインフレーション宇宙論を提唱し、宇宙創成を説明するビッグバン理論の最大の弱点を補強した。また、銀河の形成や進化、素粒子に関する研究を行い、その先駆性・独自性が国内外で高く評価されている。著書は『壺の中の宇宙』(二見書房)、『ビッグバン理論からインフレーション宇宙へ』(共著、徳間書店)、『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった 』(PHP文庫)、『宇宙はこうして誕生した』(ウェッジ選書)など多数。
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