わたしの好きなお国ことば 林家たい平(落語家)
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3歳の頃。秩父羊山にて。自分がいちばん気に入っている写真。「あこがれの自分」

4歳の頃。父と一緒のお祭り。

小学6年生の時、母親と一緒に。秩父川瀬祭り。

武蔵野美術大学落研時代。あのユーミンが歌った玉川上水をママチャリで大学まで通う。









最近の独演会より。


 大学で東京に出てくるまでの十八年間、秩父で育ちました。小さな盆地の中で両親は洋服の仕立て屋を営んでおりました。いわゆるテーラーです。私が小さい頃は注文服というのが全盛で、ものすごく忙しかったのを覚えています。多い時には三人ぐらい人を使って、仕事をこなしていました。それでも間に合わないらしく、従業員が帰った後も、両親はよく徹夜で仕事に追われてました。小学校二、三年だった私が真夜中、二階からトイレにおりてくると、仕事場は昼間の様に煌々と電気がつき、まぶしくて目が開けられなかったのを覚えています。明るさに目が慣れてくると、そこに親の姿が見えました。「せやねぇ?」と問いかける私に向かって母が「せやーねぇよ。早く寝な」と返事をしてくれます。その間も父は黙々と針を進めていました。
 子供心にも、こんなに働き通したら死んじゃうんじゃないかという心配があったのでしょう。大丈夫なの?という意味で秩父では「せやねぇ?」と使っておりました。小さい子供に心配をかけまいとする母親の心が充分に伝わる短い言葉でした。「せやねぇ?」「せやーねぇよ」疲れた顔はしていましたが、一番のやさしい笑顔を見せてくれる瞬間でした。
 そうやって苦労して親に育ててもらっているうちに時代も変わってきて、オーダーからイージーオーダーへ、そして大量販売の時代がやって来て、家業もだんだん大変になって来ました。その頃は私も高校生、自分の家がどんな状況に置かれているか判ります。子供の頃とは内に含まれる意味が違っていましたが「せやねぇ?」すると昔と変わらず返ってくる言葉は「せやーねぇよ」
 「大丈夫なの」なんて言ったら「子供のくせにそんな心配するな!」と職人気質の父親にどなられそうですが、この「せやねぇ?」という言葉の中には、一言二言では言い表わせない思いやる気持ち≠ェ入ってるように感じるんです。
 心配する、気使う心に対しての心配をかけまいとする心、やさしい響きを持った素敵な国なまりだと思っています。そんな言葉の中の愛を親からたくさんもらったお蔭で少しは、困っている人、悩んでいる人、心配そうな人に、声をかけられているかなーなんて思っています。
 秩父弁は、はじめて聞くとやや荒っぽい言葉に聞こえるかも知れません。特に女性が話しているのを聞いたりすると一層感じるかも知れません。でも腹んなかは、みんなやさしくて、人好きで、人情に厚い。そうです落語に出てくるがらっぱちの江戸っ子の様な所を持っているんです。ですから落語を演じる時頭の中にある舞台はふるさと秩父なんです。
 実は今、夜中の二時すぎ。もう少しで原稿書き終わる所です。さっき小3の息子が降りてきて「寝なくてお父さん大丈夫?」と言ってくれました。思えば思われる。思いは廻ってくるんですね。そこで言ってやりました。「せやーねぇよ。早く寝な」



<近況>
CD「林家たい平落語集・たいへいよくできました」2枚組 、「林家たい平落語集・たいへいよくできました2」コロムビアレコードより好評発売中
講談社より「たい平の野菜シャキシャキ噺」絶賛発売中

2005/11/02(水) 19:00 林家たい平独演会
新宿・紀伊国屋ホール
03-3462-5606(ティルト)
2005/11/01〜/11/10(2・5日お休み)
上野・鈴本演芸場 11月上席夜の部 主任(トリ)
03-3834-5906(鈴本演芸場)



林家たい平氏 林家たい平
(はやしや・たいへい)
落語家。落語協会所属。
1964年、埼玉県秩父市生まれ。1987年、武蔵野美術大学造形学部卒業(落語研究会に所属)。翌年、林家こん平に入門。2000年、真打昇進、現在に至る。林家伝統のサービス精神あふれる芸風を受け継ぎ、「たい平ワールド」と呼ばれる楽しさ満点の高座が高い評価を得ている。
●主なレギュラー番組
テレビ:日本テレビ「笑点」(師匠こん平の代打として大喜利メンバー)、NHK「笑いがいちばん」、・日本テレビ「笑点」大喜利メンバー(平成16年12月26日笑点スペシャルより)、テレビ東京「ゲームジョッキー」
●司会
ラジオ:ニッポン放送「テリー伊藤のってけラジオ」、文化放送「林家たい平の笑チュウ劇場」、NHKラジオ「平成落語家ジョッキー」

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