わたしの好きなお国ことば 川藤幸三(元プロ野球選手)
  【第47回】  「若狭弁」に誇りをもっていたから野球ができた →バックナンバーに戻る




子どものころ。故郷の美浜町で。




















高校時代(福井県立若狭高等学校)には野球部員として活躍。




 故郷の言葉を聞くといまだに心がなごむ。ふだんはどこの地方の言葉を使っているのかわからない世界で生きているのだが、年に一回高校時代の野球部の監督を励ます会に出席するため田舎に帰る。そこで、かつての仲間たちの言葉を聞いた瞬間から、数十年前に立ち返ったような気分になり癒されていく。
 わしの田舎は若狭湾に面した福井県の美浜町である。美浜町は地区ごとに言葉が違うような町であった。中学校に入学するといくつかの地区の小学校の出身者と一緒になるが、小学校の違いが言葉でわかったほどだ。高校に入るとさらに言葉の違いが多くなる。そうなるとすぐに喧嘩が始まる。
「なにゆーとんやー」
 相手の言うことがわからないからいさかいが絶えない。だが、仲直りも早い。喧嘩を繰り返して仲良くなっていく。方言が結びつけた仲のよさとでも言えようか。
 わしは若い頃から自分のことを「わし」と呼ぶことで通してきた。これも若狭弁だ。阪神タイガースに入団した最初の契約更改の席上で球団社長から、
「『わし』と言うな。『僕』『私』に直せ」
と言われた。だが、故郷の言葉に誇りをもっていたわしは直そうとは思わなかった。若狭では十代、二十代の若い者は「わし」を使う。三十過ぎると「うら」と言う。小さいときから「わし」に馴染んできた自分は、これからも直す気はない。
 野球部に入って最初に学んだことは「声を出せ」ということだった。練習中は最初から終わりまで「声を出せー!」と言われたものだ。プロに入ってからもそうであったが、方言を気にして自分の言葉を出せないヤツがいる。試合中は声を出さないとたいへんなことになる。外野に飛んできたフライをレフトが「マカセー(任せろ)」と大声を出せば、「よっしゃー任せた」と言うことができる。ふだんから大声を出していないととっさにはできないことなのだ。
 わしは野球の中から言葉の大事さ尊さを教えてもらったと思っている。国語の時間は大嫌いだったが、野球を通じてそれこそからだで敬語などの言葉遣いを学んだ。言葉遣いだけではない。先輩たちの姿を見て、上から見下してものを言うもんじゃないということも学ぶことができた。現役時代多くの外国人選手と一緒にプレーをしたが、皆から「お前の言っていることはよくわかる」と言われた。だからといって別に英語ができたわけではない。わしのは言ってみれば「体語」であった。下手くそな英語でも自信をもって言えば、ちゃんと通じるのだ。野球と言葉との関係はひじょうに深いのだとつくづく感じる。
 腹から出す言葉、自信のある言葉はどこの世界でも大事だ。最近は「故郷の言葉に誇りないんかい!」と思うことがよくある。自分たちの田舎の言葉に誇りをもって、それを腹から出すようにしてもらいたいと思う。



川藤幸三氏 川藤幸三
(かわとう・こうぞう)
元プロ野球選手。
1949年、福井県美浜町生まれ。1967年、福井県立若狭高校卒業後、ドラフト9位で阪神タイガースに投手として入団。のちに外野手に転向。1983年、のシーズンオフ、球団からのクビ宣告に対し「給料はいくらでもいいから野球をやらせてくれ」の名セリフを残し、バット一本で1986年まで現役を続ける。その豪快なキャラクターから“浪花の春団治”と呼ばれる。引退後は野球解説者として、またテレビタレントとしてマルチぶりを発揮。1989年には阪神タイガースの総合コーチとして復帰。1993年、出身地である福井県から委嘱を受け「福井県ふるさと大使」に就任。現在、読売テレビの野球解説者、タレント、プロ野球マスターズリーグの「大阪ロマンズ」の選手として幅広く活躍中。〔現役通算成績〕771試合出場・打率2割3分6厘・16本塁打・108打点
閉じる トップへ
new_copyright2003.gif