わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第4回】  よかった。来てよかった。 →バックナンバーに戻る

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新聞の折込広告は日本独特の風習だろう。アメリカでは宅配が一般的ではないし、イギリスでは新聞そのものに刷り込まれているクーポン券に人気があるから、多色刷り、高級紙使用、そして本紙より重い日本の新聞チラシはもしかしたら世界的? でもわたしは愛読者だ。豪華な邸宅や億ションといわれる集合住宅など値が張る不動産物件のチラシは目を引くように作ってある。そこには、便利で快適な理想の住宅像が印刷されている。中には、にっこり笑う親子夫婦がいて、まさに絵に描いたシアワセを広告している。わたしは時折、マッチ売りの少女のように窓ガラス越しに見ている自分を感じて、ため息をつく。そんな悪趣味と笑うなかれ。こんな物件買えないとあきらめるだけではなく、もし買えても思い描くような生活は買えないことを知っているからだ。変に期待しないからこそ豪華広告を笑って楽しんでいる。
 期待ハズレというのは想像するほうにも責任がある。最近の芝居で、それを経験した。新作の現代演劇。作者は売れっ子の劇作家。演出も兼ね、出演者はおなじみの有名俳優の豪華共演。いつもヒットしている人たちだ。前評判は高く、当然チケットはソールドアウト。そんな噂を聞くとなにがなんでも見たくなる。新作だからどんな芝居かわからない、ただ主役の俳優の役柄が面白そうだという一点で飛びついたお宝チケット。結果はがっかり。ほとんど居眠り。もったいない、噂に踊らされた自分が悪い。心の中でこうつぶやいた。「来るんじゃなかった」と。
 別な人はその舞台を「詐欺だよなあ」とまでいったが、作品が上演されるまで評価がわからないものに、過剰な期待を寄せるわたしたちも悪いのだ。


 
 
   
 そんな苦い体験もするが、逆の出会いもある。「司法権」というタイトルの芝居がそうだ。北條秀司が書いた作品で劇団・新国劇が演じてきたものだが、全く知識がなかった。それを島田正吾がひとり芝居で演じるという。島田のひとり芝居はかつて新国劇で演じた「王将」や「沓掛時次郎」「白野弁十郎」などをアレンジして上演し評判だったが、わたしは見ていない。それゆえ誰もが知っている有名な作品で見たかったし、地味な題名の芝居なので躊躇した。しかし高齢の島田の舞台はまさに一期一会。やはり入手困難なチケットを手に入れ、二階席の片隅で見た。
 「司法権」のサブタイトルは「児島大審院長」。今でいえば最高裁長官の児島惟謙が主人公だ。「こじまいけん」と思っていたが「こじまこれかた」と読むのだそうだ。漢字ばかりで見るからに難しそう。眠くなったらどうしようという不安で幕が開いた。案の定すぐ眠くなってしまった。まず、場内が暗い。登場人物がひとりで動きも少ないから遠い舞台の中央しか使わない。そこだけに照明を当て周囲も客席も暗いのでついうとうと。なにやらいっていることも難しい。明治24年に現職の巡査がロシア皇太子に斬りつけたいわゆる大津事件をめぐっての見解が争われる。裁判劇ではなく、裁判の周辺を描いている。
 被害者は大国ロシアの皇太子。一命はとりとめたとはいえ国際問題だ。政府は犯人を死刑に処するとロシアに伝える。日露の戦争の火種としないためだ。根拠は天皇、皇后に危害を加えた者は死刑という刑法に準じている。つまりその法律を適用するという判断だ。異論を唱えるのが児島大審院長。日本はようやく近代国家として法律を整備し、法治国家としてのスタートを切ったばかり。国内の刑法に照らせば死刑ではなく無期徒刑が妥当だと主張。卑屈に大国におもねて自らの司法権を汚すと独立国家としての体面を失うと語る。このへんから眠気が醒めてくる。語りかけている相手は政府の重臣たち。しかし、続く場面で児島は窮地に陥る。首相みずから今回だけは法を枉げて欲しいと頼む。さらに判決を下す五人の判事たちが大津で下車せず京都の御所に参内し陛下に拝謁することがわかった。万事休す。児島は大津に向かう。
 最後の場面。児島は判事たちにあらためて自分の信念を語り、五人の最終決断を迫る。琵琶湖畔、大津の旅館だ。宮中でいかなる説得を受けたのか、さらには将来の出世を条件に働きかけた政府の考えも知ってのうえで、誠心誠意、理を尽くして話しかけているところに西郷内務大臣がはいってくる。無言の圧力だ。島田正吾はその西郷と児島を椅子に座ることと、立つことだけで二役を演ずる。五人の判事が眼前にいるがごとくに語りかける。苦衷のうち判事たちは死刑か無期か各自の判断を表明し、二人の前で決をとることになった。緊迫の空気の中、死刑、死刑と連続。あとひとりが死刑といえば、もう決定する。結果は続くふたりが無期。2対2だ。残るひとりは……。

 
 
 

  「無期徒刑」。その瞬間、舞台上では無人の西郷の椅子が転倒する。怒りのうち、まさに席を蹴って退場したことがわかる。
 次第に照明が落ち、児島が琵琶湖を振り返る。(背景に琵琶湖は描かれていない。照明がブルー地にきらきらとさざなみを表現)いつのまにか暮れて月光が射しているのだ。そして、最後のセリフ「よかった。来てよかった」で幕となる。
 無期でよかったという小さな安堵のセリフではない。法に携わる人間がこの論争を通じて得た結論が、まさに独立国家日本の確固とした黎明を見た思いの「よかった」なのである。それが島田の口からこぼれた瞬間、児島の万感の思いが見事に乗り移った。
 わたしは、そのセリフを涙の熱さとともに胸でこう繰り返した。「よかった。この芝居に来て本当によかった。島田さんありがとう」と。
 島田正吾96歳。長寿は尊い。それ以上に現役の俳優が口にするセリフがわたしたちの心を動かす日本語の力であることを教えてくれ、貴いものを感じる。
 日本の近代国家の誕生にはこんな逸材がいたということを戯曲という虚構に描き込んだ劇作家がいて、演じる俳優がいる。名作があり名優がいる。演じられてこその作品、舞台に立ってこその俳優。その時を共有できた喜び。演劇はそんな瞬間をわたしたちに与えてくれるのだ。


葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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