わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第6回】  せがれが首切る刀とは五十年来知らざりし →バックナンバーに戻る

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 クイズ番組を担当すると、どうでもいいことだけど知っていると楽しいことを教えられる。たとえば雛祭りの人形。三人官女についてだ。酒器を捧げている三人の女性の中で既婚者がひとりいるのだが誰でしょうというもの。正解は中央の女性。証拠はこの人形だけお歯黒をしているからというもの。家に飾っていない人は、どうぞデパートや人形店で確認して欲しい。
 雛祭りは女性のための行事。成長を願い、そして幸せな人生を念じている。たくさんの雛道具を見れば、箪笥、長持ちなど嫁入り道具が飾ってある。それらとともに嫁いで男雛の横ににっこり微笑んで座っている女雛。
 この雛人形をうまく使った歌舞伎に「吉野川」という作品がある。これは舞台装置を見るだけでも価値がある。普通、舞台中央の大道具は役者が活躍する御殿や民家などが置かれるが、この芝居、中央は全く使わない。いや使えない。それは川だからだ。題名の吉野川が客席に向かって流れている構図。つまり観客は川の中の下流側から見ている設定だ。舞台の左右に館がたてられ、左側の座敷に雛飾りがある。その名も雛鳥というお姫様がいる。川をはさんで右側の館には久我之助という若武者。りりしい青年がいる。このふたりは恋人同士。しかし親が領地争いで不仲。江戸版「ロミオとジュリエット」なのだ。
 左右の屋敷には客席後方から真っ直ぐ道が伸びている。雛鳥の館は本花道。久我之助のほうにももう一本、仮花道が架設される。両花道にはさまれた客席がまさに川の中だ。
 この道を伝って雛鳥の母、定高(さだか)と久我之助の父、大判事清澄(きよずみ)が帰ってくる。ふたりの胸は悩みでいっぱいだ。まるで帝のように世の中を牛耳っている蘇我入鹿と先刻まで会っていて、定高には娘を入内させること、つまり入鹿と結婚させろという命令。大判事は息子を家来として仕えさせろといわれてきたばかりだ。喧嘩している仲とはいえ、内心、子供たちが恋人同士とわかっている親。入鹿の命じたとおり二人が納得したら、川に桜の枝を流そうと川をはさんで話し合う。
 ふたりはそれぞれの家にはいる。しかし、娘が得心するわけがないと悟る母は雛鳥に初恋の思いを遂げさせるため殺し、久我之助も切腹して果ててしまう。両家の親は、子供たちの死の覚悟を知り、その死をもって入鹿の暴虐にこたえるという結末を迎える。ただし、ふたりの親はその心を隠して互いに桜の枝を投げ入れる。なぜなら、せめて相手の子供だけは助かって欲しいと願うからだ。
 激しい流れの水音を越えて、定高の悲痛な叫びが対岸に聞こえてしまう。すでに娘の首を切ってしまったのだ。その声に驚いて障子を押し開けた大判事の座敷では、切腹してすでに虫の息になった久我之助の姿がある。大判事は苦しむ息子に苦痛をこらえて恋人と会えという。ここからがすばらしい展開になる。


 雛鳥が川を渡って嫁入りしてくる。それはたった今、母に切り落とされたばかりの首が嫁入り道中してくるのだ。激流をどうやって越えるか。そこに雛道具が役立つ。琴を逆さにして舟のかわりにし、段飾りの籠の中に首をいれる。そしてほかの雛道具を嫁入りの支度になぞらえて川に流す。左から右に、哀しい水葬礼と婚礼を重ねる趣向。ここまでまったく使われない舞台中央。そこは役者ではなく水に浮かぶ桜の枝や雛道具たちが主役になって活躍する、稀有の作品といえるだろう。
 雛鳥の死の直前、舞台にむかって右側の館の中では、その恋人である久我之助が切腹する。そのとき介錯の刀を振るうのが父、大判事。その悲痛な思いが今回とりあげたこんなセリフだ。
 「侍の綺羅を飾りいかめしく横たえし大小、倅(せがれ)が首切る刀とは五十年来知らざりし」
 武人としての我が身を飾ってきた誉れの刀剣。いわゆる大小を腰に差して胸を張り生きてきた大判事。そんな武士の魂が、これまで育て上げてきた息子を殺す道具になってしまうとは……。人間五十年の当時、まさに人生の終末になって気づかされた不幸。老父の心を自ら裂き、血をほとばしらせる叫びだ。
 歎きは娘の母も同じこと。やはり刀で雛鳥を殺す。それは夫に死別した後家。しかし太宰という家を守っていかなければならない。雛道具が女性の道具なら、武家の家長のシンボルとしての道具である刀を腰に差して入鹿のもとから帰宅した。その刀で首を落とす。
 残酷といえば残酷な場面だ。しかし、武家社会では、確実に殺害した証拠に首は欠かせない。雛道具で送られた恋人の首を前に、九寸五分を腹に突き刺している苦しい息の中、三々九度の水盃を交わす。そして、父の介錯。若き恋人が二人とも首になって、それを両脇に抱え、入鹿のもとに赴く大判事の姿で幕となる。


 ここまで読んで、大化の改新の蘇我入鹿がどうして江戸時代の武士道と重なるの?と疑問をもった人は歴史に興味がある人。そう、文楽とか歌舞伎という江戸時代の芸能はどんなに古い時代の出来事でも江戸時代の様式のなかで演出してしまう。江戸庶民は時代考証にこだわらず、当時の現代劇的感覚で昔の物語を楽しんでいた。いい加減だけれど、わかりやすさを優先したのだ。
 雛道具も庶民の暮らしに入ってきていたので、その奇抜な趣向が大受けした原因のひとつだろう。春景色と雛飾り。その華やかさ明るさと対照的な悲劇。そして左右対称の舞台機構。左は母、娘、腰元と全員女性の妹山(いもやま)。右が父、息子と男性だけの背山(せやま)。合わせて妹背山。そう、前回の名セリフも同じ作品。「妹背山婦女庭訓」が原作。その前半部の妹背山の物語をとりあげてみた。

 
 最後にお雛様のクイズをもうひとつ。
 「灯りをつけましょ ぼんぼりに」という誰もが知っている歌の題名はなんでしょう。
 「ひなまつり」?「たのしいひなまつり」? いえ、どちらも不正解。正解は「うれしいひなまつり」でした。
 この芝居は悲しい雛祭りの物語。母が娘の首を切る決心をするのは、雛人形を手にとって娘の前においたとき、娘の袖がかかって首がコロリと抜けてしまったからだ。クビということばは勤め人にとっても禁句だ。人形の取り扱いにはくれぐれもご注意、ご用心を。
   

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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