わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第8回】  短気は身を滅ぼす腹切り刀だ →バックナンバーに戻る

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 「ファミレス」ことファミリーレストランは清潔で明るく、手ごろな値段で食事を楽しませてくれる。便利だからよく利用する。カラーのおいしそうなメニュー、禁煙席もちゃんとあっていうことないのだが、アナウンサーだからか、単なる「おじさん」だからか、あの従業員のことば遣いは苦手だ。
 「いらっしゃいませ、ようこそ何某(なにがし)へ」(ようこそってキミ普段使う?)とは思うもののここまではいい。
 「ご注文はお決まりでしょうか」(うん丁寧でよろしい)問題は注文どおり料理が運ばれてきてからだ。
 「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」(注文内容はいいんだけどさ、よろしいでしょうかじゃないの?なんで過去形なの。ったくゥ)ブチッと切れて内心文句たらたら。
 さらに会計。「はいランチでしたね。735円でございます。ありがとうございます。千円からお預かりいたします」
 (違うだろ、千円からじゃなくって、千円をお預かりしますじゃないの、ホントにもう)と、再び切れかかる。
 でも顔の見えるお嬢さんなら、まだ許せる。先日の電話はもうだめ。
 「もしもし、葛西様のお宅ですか。わたくし何々会社の何々と申します」
 朝の電話で爽やかハキハキ。若い女性の声。へえ、結構てきぱき電話がかけられる若者がいるんだなと感心しながら応対していた。
 「お宅に、何々さんいらっしゃいますか」息子を呼んでいる。たぶんセールスか勧誘らしい。これも相手は仕事だから嫌な感じはない。そのあとわたし、「息子はもうでかけてしまいました」すると、
 「ああそうですか」と答え、ひときわ大きな声で「あらためます」とのたまい、ガッチャンと電話が切れた。
(なな、なんだ。いまのことばは。「はい、それではあらためて、おかけいたします」だろう。なにが、あらためますだ。あんたのことばをあらためろ)と切れた受話器に向かってぼやくわたし。ああミジメ……
 こんなにカッカしてたら長生きできない。短気は損気だ。そんなおり芝居をみた。テーマは短気の失敗話。
 「ぢいさんばあさん」という民話風のタイトル。実は歌舞伎である。原作、森鴎外。脚色、宇野信夫。初演からやっと50年の新作歌舞伎。難しそうな義太夫とか、なにがなにしてなんとやらという歌い上げるセリフもなく、実にわかりやすく笑いと涙の佳作である。


 序幕に出てくるのが「短気は身を滅ぼす腹切り刀」というセリフ。幕が開くと腕を包帯で吊った若侍がいる。「お前は昔から気が短いのが悪い癖」とたしなめる姉との会話から怪我をした弟の代わりに姉の夫、義兄に当たる伊織という男が江戸から京へ勤番にいかねばならない様子がわかる。伊織夫婦は仲睦まじく、うまれたばかりの赤子もとりわけ可愛がっている。一年だけとはいえ、妻子を江戸に残しての、いわば単身赴任を余儀なくされる。そこで、義兄が弟を諭すことばで、「短気は身を滅ぼす腹切り刀だぞ」と口にする。
 二幕目は京、鴨川の納涼床。月が出ている。勤番仲間との酒宴。伊織が道具屋でみつけ、衝動買いした自慢の刀の内祝いだ。しかし、なごやかな酒宴に邪魔がはいる。皆と顔なじみの同僚だが、皮肉屋で剣呑(けんのん)な性格が仲間から疎まれている男、嫌われ者だ。しかし、伊織にも落ち度があった。この刀を買う金をその男から借りていたのだ。それなのに酒宴に誘わなかったのはまずかった。だから、さんざん嫌味をいわれ、足蹴にされてもひたすら手をついて謝るばかりだ。しかし相手は酒に酔ってもいた。「そんな、なまくら刀では人も斬れんぞ」と罵られ、ついかっとなって抜刀し斬ってしまう。一瞬のできごと、しかし一生の不覚である。
 結局、相手は死んだ。責任をとらされた伊織は北陸の藩へお預けの身の上。愛する妻子のもとへ帰ることはできなくなってしまった。
 そして大詰はなんと37年後のお話だ。伊織は許されて帰宅。妻もこの間、伊織とは手紙のやり取りも禁じられ、九州の藩で御殿勤め。夫の赦免を聞いて、役を辞し、やはり江戸の自宅に戻る。この37年後の再会が最大の見せ場である。タイトルどおり「ぢいさんばあさん」になっているからだ。
 義弟を諌めたことばが自分自身にふりかかってしまった。悔いても取り返しのつかない歳月。たしかに愛し合う夫婦が生きてめぐり合えたのはハッピーエンドではあるが、赤子だった我が子も疱瘡(ほうそう)で夭折し、ふたりは身体も思うようにきかない老体になってしまった。
 この江戸の家を守っていたのは、すでに亡くなった義弟の息子と妻。若夫婦だ。その溌剌(はつらつ)とした甥の姿を見て、伊織は、
 「おとこ盛りだなあ」
とひとりごとをいう。
 それは、無為に過ごした三十数年の過去を振り返り、生き長らえてはきたけれど、なにひとつ志を果たせなかった悔恨の歎きなのだ。
 しみじみとした夫婦の邂逅は、若く美しい序幕の姿と対照的で、白髪になり、足元もおぼつかなく、ともに文字を読むとき老眼鏡をかけ、と笑いが各所に盛り込まれ、さんざん楽しませたあと、夫が自分の失敗を詫び、妻も息子を失ったことを謝るところでしっとりと泣かせる、うまい作劇で観客は大喜びである。
 はじめは容貌のかわった互いがわからないが、ふとした仕草で気付いた妻が「旦那様か」と呼びかけ「おまえ」と応じ、近づいてゆくふたり。そして手を取り合う。夫婦とはいいものだなあとしみじみ思わせる戯曲だ。

 
 

 短気、短慮からとんでもない出来事になる武士の物語の代表は「忠臣蔵」の刃傷事件が有名だが、武士、町人、江戸、現代とどこの世界でも短気による失態はあとをたたない。
 「短気は身を滅ぼす…」わたしも年のせいか気短(きみじか)だ。肝に銘じなくてはいけない。若者のことば遣いが少しくらい悪くてもいいじゃないか。長崎の空港近くではいったファミレスでは逆の体験をした。
 「ご注文なにになさいますか」
 一緒にいたカメラマンが「豚カツ定食」と注文。するとウエイトレスは肩を震わせている。いや怒っているのではない。笑い始めたのだ。なぜかといえば「とんかつ」といわずに「ぶたかつ」と注文したかららしい。メニューには「トンカツ」とカタカナではなく「豚カツ」と書いてあったから、うっかり「ぶたかつ」といっただけのこと。普通のお客だったら笑うなんてと怒ってしまいそうだが、箸が転げてもという世代だから許せる。マニュアルにない自然な反応っていいよね。「あらためますっ」ガチャンよりずっと可愛いと思う。
 今は携帯電話の「ワン切り」時代。そんなことに疎いわたしたちおじさん世代が発信番号にかけなおすと法外な通話料を請求されるという困った商売もあると聞く。ああ怒らない怒らない。切れた電話は無視。わたしのように電話にあたっても仕方ない。我慢して切れない心構えが肝要だ。でないと身も懐も滅びてしまう。ご用心。

   

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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