わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
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 ミクロネシア連邦の島々のひとつモエン島。そこへ取材のためグアムで飛行機を乗り継いだ。空港は夏の海を楽しむ若者たちや家族連れでいっぱいだったが、意外にも中高年、なかには車椅子のお年寄りまでいた。最近はバリアフリーだからなどと考えていたが、それは違った。モエン島はチューク(旧トラック)諸島の中心。さらにその先にはポンペイ(ポナペ)がある。北西にゆけばサイパン。ここは昔、日本が統治していた地域だった。飛行機で隣り合わせた婦人は一歳まで育った生誕の地、ポナペへの旅を何回もしているという。父は南洋で戦死、母子で引き揚げ、教員生活をしながら自分のルーツを訪ねているとか。あの車椅子の男性のグループも別の島へ行く墓参団だった。
 そんな日本とかかわりが深いチューク諸島には、漫画「冒険ダン吉」のモデルになった高知県出身の森小弁(こべん)という人が住んでいた通称「秋島」がある。去年初め亡くなった「キミオ」さんという人の話をそこで聞いた。戦時中、キミオ少年は沖合いに停泊していた海軍の補給船「愛国丸」に乗り組んでいた静岡出身の内田(名は不詳)という下士官にかわいがられた。ちょっとした用事を頼まれて終えた後はいつも貴重な缶詰や砂糖、石鹸をくれたという。もちろん島の住民にもやさしく、貧しい人をみかけると必ず施しをした人だったらしい。愛国丸の軍人たちも昼は上陸していたが、夜は帰艦し島人に嫌われる行為はまったくなかった。いや、むしろ好かれていたと言っていいだろう。それゆえ、敗戦近く島の沖合いで轟沈された愛国丸とともに死を遂げた内田さんのことを終生キミオさんは悼み続けた。その内田さんがキミオさんに残したことばに「負けず嫌い」がある。負けず嫌いの精神でしっかり生きてゆきなさいということばだった。貧しかったキミオさんは、それからこのことばを胸に懸命に働いて、ホテルをはじめダイビングスクール、リゾート施設を経営する実業家になった。さらに内田さんの善行をみならって、福祉活動や貧困家庭への援助を続けたという。
 戦争にただ勝つというためのことばではない。人生を生きてゆくための「負けず嫌い」。なんとすてきな日本語だろう。
 そんないい話を教えてくれたのは、キミオさんと親交があり環境保護のボランティア活動に協力している日本人だった。ダイビングが好きで島に住み着いたこの青年に、キミオさんは内田さんに対する恩返しのつもりで手をさしのべたという。内田さんの志が60年近くたって再びひとりの日本人に伝えられたのだ。「負けず嫌い」という言葉とともに。


 サッカーワールドカップで興奮した6月。
 「がんばれニッポン」をあちこちで絶叫し、勝ち抜いてゆく喜びと負けてしまったさびしさを多くの日本人が味わった。なかでもふだん個にとじこもる若者たちが肩を組み連帯感を共有したと報じられていた。そんなサッカー熱のなか、歌手の村田英雄が亡くなった。代表作「王将」が繰り返し電波から流れていた。
 将棋の異才、坂田三吉を歌った根性もの。
 *「吹けば飛ぶような 将棋の駒に 懸けた命を 笑わば笑え」で始まる歌詞。童謡詩人として知られていた西条八十が作詞した。将棋のことはまったくの門外漢といわれている。その三番の歌詞にはこうある。
 *「明日は東京へ出て行くからは なにがなんでも勝たねばならぬ」
 わたしが大好きなくだりだ。なにがなんでも勝たなければ大阪に帰れない。もちろん結果は勝ちか負けしかない。この歌が広く世間に流れたのが昭和三十年代後半、高度経済成長の最中だ。敗戦国日本が新しい時代を切り開いてゆく応援歌のひとつでもあったろう。やはり「負けず嫌い」の精神がこの作品にも生きている。
 東京オリンピックも同じ頃だ。世界に伍してゆくための平和の力比べ。スポーツ文化の競争は国民に夢を与えた。負ければ悔しいけれど、勝った時、メダルを獲得した時の興奮は忘れない。その後も相撲、野球、冬季オリンピックそしてサッカー時代の到来。ワールドカップで最高潮となった。さまざまなスポーツに一喜一憂している日本人。勝ち負けはともかく、そんな平和を噛み締めたい。


 ところで「王将」を聴きながら太平洋を渡った人がいる。堀江謙一だ。当時の堀江青年はヨットという西洋のマリンスポーツで世界的な記録を樹立した。太平洋をひとりぼっちでアメリカまで横断し成功するという快挙だ。その大海原で、「なにがなんでも勝たねばならぬ」という「王将」がハワイのラジオ局から流れ、慰められたという。作曲者の船村徹はロカビリー全盛の当時、純日本的な音楽で勝負したかったと語っている。その堀江さんは今夏、40年ぶりに同じ冒険に再び挑み、成功した。
 負けじ魂と必勝を願う日本のことばや音楽が偶然、太平洋の潮風の中で生きていたことをふたつも教えてくれ、思い出させてもくれたわたしの夏だった。

 *「王将」(作詞 西条八十、作曲 船村徹)より。



葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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