わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第12回】  おもしろうて、哀れで、だてで、殊勝で、かわいい恋 →バックナンバーに戻る

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 明石家さんまが司会の、若い女性たちとのトーク番組を時々楽しんでいる。それは自分の恋愛体験を語る内容だ。顔も名前もそして職業もテレビで映るのに女性たちはなんとも屈託のない会話をする。出会い、誘惑、同棲、エッチ、失恋、デート、駆引き、プレゼント、裏切り、未練などなど、さまざまな恋の形を浮き彫りにする。これほどあからさまな会話が成立することで、覗き見的な興趣を掻き立てられるのがわたしたちオジサン世代だ。でも父親には娘世代の理解促進になるだろう。
 さんまは女性たちから聞き出して、揶揄し、同調し、突き放し、そして誉めそやす。そんなやりとりから視聴者は己が恋との比較を楽しんでいるのかもしれない。


 恋の語り部は決して女性だけではない。男たちも自分の恋の来し方そして成り立ちを自慢ではなく、あからさまでもなく語ることができる。その例が「俊寛」という芝居にある。
 俊寛は平安時代の僧侶。中央政府の要職にありながらクーデターを起こそうとする。平清盛の握る権力機構を覆そうとする一味に加わったのだ。その計画が密告のために露見し、逮捕。首謀者は死罪となり、俊寛は藤原成経(なりつね)、平康頼(やすより)らとともに流罪となってしまった。流された先は鬼界ケ島というおそろしげな名前の離島。現在の鹿児島県硫黄島といわれている。
 その名の通り硫黄が燃え、今も噴煙をあげている。世界遺産の屋久島からも島影が見えるが、当時は絶海の孤島で、俊寛たちは命が助かったとはいえ困窮の暮らしを強いられることになった。平家物語にも描かれる流人の惨めな生活だ。
 史実としては成経と康頼が許されて都に戻り、俊寛にだけ清盛の憎しみが強く、三年間島で暮らし、37歳で流人のまま生涯を閉じている。
 その悲劇が能「俊寛」になり、そして人形浄瑠璃や歌舞伎になってゆく。近松門左衛門の「平家女護島」の二段目「俊寛」は繰り返し上演され、外国でも理解される悲劇だ。
 近松の優れているのは、ただでさえみじめな島の暮らしに「恋」という彩りを添えて人間ドラマを深く描いていることだ。その恋は、俊寛とともに流された若者、成経が島の娘と結ばれるところにある。娘の名は千鳥、薩摩なまりのことばで話す。実際に鹿児島方言にはないようだが、たとえば「りんにょぎゃってくれめせ」というセリフがたびたび出てくる。意味はわからなくてもその使われる状況から「かわいがってくださいね」「情けをかけてくださいまし」というのだろうと感じとれる。
 俊寛は成経が恋をしたと知って喜ぶ。流罪になってこのかた、恋ということばを聞きも思いもしなかった。笑ったこともなかった。でもふたりが結ばれたと聞いたとたん、初めて笑顔状態の自分を知ったし、実は俊寛自身が恋をしていることを自覚したと、思いがけないことを口にする。
 それは都に残してきた妻のことを毎日のようにどうしているかと思い出している。これはいわば恋だと悟り、「夫婦の仲も恋同然」という。ここがすてきではないか。そして成経と千鳥の出会い、馴れ初めを尋ねる。司会者、インタビュアー俊寛の技量となる。己が恋を最初に告白したため相手の心は和らいでいる。成経は顔を赤らめながらも千鳥とはどんな女性なのかを語り始める。その内容を要約するとこんなふうになる。


 千鳥の仕事は海女。浜辺で海水を汲み、汐を焼く製塩もすれば、海に潜って海藻や魚をとり、干潟で貝もとる。海にはいるときは上半身裸。腰布はつけるけれど水に濡れてシースルーになるとか、小鯛が餌と間違って乳を吸いにくるとか、けっこうきわどい内容なのだ。さんま氏ならずともフンフンときいてしまう。さらに蛸が壷と思い込んで「へそ」にもぐりこもうとしたり、赤貝が太ももの間にはさまったりとエスカレート。そんなふうに忙しく働いてヘアスタイルも髪をぐるぐる巻き上げただけだけれど、けっこうそれも似合うんですよとのろけたりもする。粗末な小屋で寝起きし、枯葉を縫い合わせて衣を作ってくれたり、ベッドインのときには薩摩なまりで「りんにょぎゃって」と甘えたり、そりゃもうサイコー。それだけではなく自分の親は死んでしまったので成経が頼りにしている俊寛を父親、康頼を兄と思ってお付き合いしたいとまで言っているのですよ。と、こんな千鳥像を成経は貴族なので上品に語る。近松の文章は目で読んでも楽しいし、耳で聞いても心地よい。
 そんな告白を聞き出して俊寛の答えもまた魅力的なセリフ。これが今回のタイトルだ。
 「さてさて、おもしろうて、哀れで、だてで、殊勝で、かわいい恋」
 なんともうまい表現だ。この恋の総括、絶妙ではないか。
 このセリフを分解するとこうなる。
 「聞いていてずんずん引き込まれるように興味深く(おもしろい)、千鳥が身体を酷使して働いている様も同情するほどで(哀れ)、そんななかにも艶っぽい雰囲気があって(だて)、なんといっても成経に尽くしている一途さが健気だ(殊勝)、さらにことばづかいといい態度といい、なんと愛らしい(かわいい)恋なんだろうね」と評している。
 わたしは文楽でも歌舞伎でも成経の恋に俊寛が感じ入るこのセリフが一番好きだ。ただ歌舞伎では原作にある、ちょっとエロチックな表現が割愛されることが多いので全要素を味わうことは難しい。
 このあと千鳥が登場し、ふたりの恋愛を完遂させるため俊寛がひとり島に残ることになる。いわば自己犠牲のドラマが展開してゆくが、ここでは触れない。ただ前半で都の妻に思いを持ち続けている俊寛の「夫婦の恋」が語られているため、その愛妻がすでに亡くなっていることを知り、もう都に帰ってもなんの楽しみもない、妻のいない都の月も花も見たくないと歎くところが後半に生きてくることのみしるす。恋とその対象の存在が俊寛の生きる証しとなっていることがよくわかり、悲劇の内容を濃厚にしているからだ。
 すぐれた聞き手がいて、純粋な恋の持ち主がいる。そこに観客の共感が入り込む。近松の人間描写の妙である。


 恋愛談義は楽しく、よその恋は羨ましい。また恋は人を成長させる。しかしその恋の姿、いまはさまざまである。
 「ねね、今どんなレンアイ?」「あっ、そうなんだァ、チョーカッコイイジャン」「ギョエッ!ダッセーノ」「フタマタだってサイテー」「ウッセーノ」
 嗚呼。こんな会話ばかりではないと思うけれど、お手軽レンアイの申し子たちは、けっこう大騒ぎで会話している。いえ「からさわぎ」ではありませんよ。念のため。



葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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