わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
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イラスト

 むさしのに もえしさわらび よめなぐさ。
 これは私の卒業した小学校の校歌である。意味もわからず丸覚えしたから、ひらがなの記憶でしかない。漢字で「武蔵野」が書けたのは中学ぐらいか。「もえし」は「萌えし」ではなく「燃えし」だとずっと思っていた。わらびは食べたことはあっても「早蕨」や「嫁菜草」なんて見たこともないから読めない草と信じていた。
 暗唱、暗誦が昨今いわれているが、丸覚えしてなんの疑問も持たず、ずいぶん経ってから、ああそんな意味かとわかるのは、恥ずかしい場面もあるが得したような気分になるものだ。
 校歌だけではない。童謡、唱歌、歌謡曲・・昔は良く覚えたし、覚えることができた。
 「箱根の山は天下の県」(箱根の山は天下の険)
 「お江戸日本橋ななつ建ち」(お江戸日本橋ななつ発ち)
 「おどま坊ぎりぼんぎり」(おどま盆ぎり盆ぎり)
 「粋な黒塀 神輿の松に」(粋な黒塀 見越しの松に)
 「生まれて潮に夕網して」(生まれて潮に浴(ゆあみ)して)
 どれもこれも勘違いのことばばかり考えて歌っていた。音が先にありき、だったのだろう。向田邦子が「野ばら」の「わらべは見たり野中のばら」という歌詞を「夜中の薔薇」と聞き間違えた文学性とは比ぶべくもない。嗚呼。


 ところで「ふるさと」。この歌もいい歌だとは思うが、実感が湧かなかった。だって東京生まれ育ちの少年(わたくし)には「うさぎおいしかの山」の思い出もなければ「小鮒釣りしかの川」も近所にない。さすがにウサギが美味しいとまでの誤読はなかったが、大時代な感じに捉えていた。
 ところが、成人してからこの歌が身近になる。NHKの新人アナウンサーとして赴任した鳥取で体験する。「ふるさと」の作詞者は高野辰之。ふるさとは長野県。ここに歌碑がある。まさにウサギやコブナの里だ。しかし鳥取にも歌碑があった。作曲者、岡野貞一の故郷だから。鳥取城のお堀端にそれが建つ。この城山が久松山と書いて「きゅうしょうざん」と読むのだが、町中にぽつんとそびえる可愛らしい山なのだ。市街地を抜けると鳥取砂丘。その前に広がる日本海。美しさは東京っ子の度肝を抜く。そんな町に住む。四季折々の風雨と雪も体験。でもただそれだけのことだった。
 「ふるさと」の歌詞を再認識したのは、出張して久しぶりに鳥取駅に降り立ち、駅前から真っ直ぐのびる大通りの向こうに夏雲がかかる久松山を見たときだ。
 「山は青きふるさと」と口をついて出た。
 本当にそうだなあと納得。ここはわたしの「ふるさと」なんだと、歌詞の意味が心に染み込んだ瞬間だった。


 北朝鮮から帰国した拉致被害者の報道には、ふるさととは何か、家族とは何か、国とは何かをつくづく考えさせられた。ある女性はふるさとについて「人々の心、山、川、谷、みんなあたたかく、美しく見えます」ということばを使った。驚いたのは山や川はわかるけれど谷ということばがあったことだ。この方の故郷には谷があるんだなあと、そのことばの重さを噛み締めたことだった。谷川で遊んだのか、谷を望むところからの思い出が強いのか、心から消すことができない映像。山も川も谷も普通名詞ではなく固有名詞なんだと教えてくれていた。
 「いかにいます父母 つつがなしやともがき」どれも難しいことばだ。でも肉親がどうしているか思い巡らさない日はなかったろう。恙無いことを念じながら、家庭の周辺に見え隠れする友人の顔、まさに垣根のような「友垣」を思い描いたことだろう。でも父も母も友人も別れたときの顔かたちの記憶しかない。時間が止まっているからである。捜索していた家族のもとにあるのも20年以上前の写真。やはり時が止まっている。
 出会いの瞬間、抱き合う二人の二人分の時間、二倍の歳月が急速解凍されてゆく思いだ。
 「雨に風につけても」きょうは寒いな、寒がりのおかあさんはどうしているだろう、こんなに空が青いのに、なぜわたしは悲しいのだろう、暑さが苦手なおとうさんだったな。思いはくるくる回ってゆくだけ。つらい話だ。


 今年の国民文化祭は鳥取が開催県。その開会式担当のため20年ぶりに出かけた。いや帰った。駅舎もかわり、出口を反対に出てしまったほどだ。この駅前でNHKマークの録音機を肩からさげているのに、鳥取大学の受験生に間違えられて憤然としたのはいつのことだったろう。
 町を歩けば自然に覚えている路地に足が向く。郵便局前の袋川にかかる赤い橋もそのまま。釣ったことがなくても「小鮒釣りしかの川」「水は清きふるさと」と自然に口から出てくる。
 昔はなかった立派な梨花ホールでの開会式も順調に進み、フィナーレは会場全員での合唱。もちろん「ふるさと」。
 「志を果たして いつの日にか帰らん」のとき胸が詰まってしまった。まだ志なかばだなあと。そして「うさぎ追いし」の意味もわかった。本当のウサギを追いかけているのではなく、飛び跳ねる命、未来への夢を追いかけているということだと。
 そんな個人の思いに関係なく、その日も秋晴れの下、久松山は青く、青く輝いていた。



葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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