わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第17回】  ととさまいのう →バックナンバーに戻る

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 新幹線も高速道路もなかったころ、父は静岡に仕事に出向いていた。そのころ珍しい単身赴任であった。休日は日曜だけだが、土曜には帰宅し月曜早朝、東海道線に乗って職場に向かっていたようだ。そんな月曜の朝、決まってわたしは父の書類鞄を抱えていた。手伝うのではなく、この鞄さえ渡さなければ父は職場に行かなくて済む。つまりずっと家にいてもらえると幼い頭で考えたのだろう。時に厳しい父ではあったが甘やかされていた。最後は「行っちゃいやだ」で泣いて、「こんどのおみやげなにかな」でなだめられておしまい。他愛ないことの繰り返しだったが、妙にその場面だけは覚えている。
 わたしの父は帰ってきたが、二度と帰らぬ父親を見送る芝居で、歌舞伎ってこんなにリアルなものもあるのかと知ったのが「佐倉義民伝」だった。


 父の名は木内宗吾。村の代表だ。凶作続きの上、重税に苦しむ仲間を助けようと江戸まで直訴に行く物語。
 村の数は下総の389ケ村というから単なる名主ではない。木内の姓も許された村役人でもある。地元の領主に訴えても聞き届けてもらえず、江戸の本家に出向けば不届きだということで仲間は牢にいれられてしまった。なんとも、ひどい為政者であった。そこで最後の手段は将軍への直訴しかない。つまり幕府へ訴え出て窮乏を救ってもらおうということだ。しかし、直訴は固く禁じられていた。それを認めてしまえば幕藩体制が崩壊してしまうからだ。その禁じられたことを行えば死罪は免れない。本人ばかりではない家族も、関係者も断罪に処せられる。それをわかって木内宗吾は実行しようとした。
 自分に探索の手が及んでいることを知っているが、家族にひとめ会い、別れを告げてから直訴に出ようと、いったん江戸から戻ってくる。
 一般的な開幕は冬の渡し場。印旛(いんば)沼の対岸に我が家がある。雪道を辿ってきて花道でしみじみ荒れ果てたふるさとを愁う宗吾のセリフも素敵だし、老いた渡し守が宗吾のために舟を繋ぎとめた禁制の鎖を断ち切るところもいい。凍りつく寒さのなか渡し守の番小屋に小さく点る焚き火の明るさが人の心のぬくもりを伝えてくれる場面だ。その雪の夜が次の宗吾宅に続く。ここが眼目の一幕。


 妻はおさん。立派な屋敷に住んでもおかしくない身の上だが、村人と苦楽をともにという家風で、冒頭、寒さに震える近所の女房たちに衣類を分け与えるところや赤子も含め4人の子供たちの様子が描写される。暖房の利いた劇場内で見ていて、その寒々しさが伝われば役者たちの手柄である。
 そこへ宗吾が人目を忍んで帰ってくる。よろこぶ女房とこどもたち。湯呑みいっぱいの茶のぬくもりがてのひらにしみる。ほんのわずかの時間帰宅したのは家族の顔を見納めするためだけではない。妻に離縁状をこっそり残したかったからだ。縁さえ切っておけば自分が死罪になっても、その累が妻子に及ぶ心配がない。しかし、おさんはその去り状をみつけてしまい、死ぬのは一緒と宗吾にすがる。
 帰ってきたばかりの父親が再び旅支度するのをいぶかるこどもたち。江戸でおさんの父が入牢しているとは知らないこどもたちには祖父を迎えにゆくのだと語る。だだをこねる幼子におみやげを買ってくるからと約束する父。長男・彦七はさすがに聡く、弟妹の面倒をみながら父の身支度を手伝ったりする。しかし、父が二度と帰ってこないことを覚っていていいだせない。この少年は10歳くらいの設定だが継嗣としてのけなげなさまを冒頭、書見台に向かう姿や、母親をいたわるセリフで演じている。
 しかし、いざ出発と一歩踏み出そうとする父にすがる。やはり今生の別れという虫の知らせと、こどもらしさがそうさせる。赤子は火がついたように泣く。切ない切ない場面だ。その上、雪が降りしきる。冷たさを通り越し、むごい雪が吹きなぐりに舞う。歌舞伎は雪にも音がある。ドンドンと太鼓の音で雪が降るさまを表現するが、親子の別れを加速させるようで、響きが無情に聞こえてくる。回り舞台が半回しになって窓越しにふたりの子と赤子を抱いた妻。こどもの顔をもう一度みてくれと叫ぶおさんだ。彦七だけ父の合羽の裾にすがっては転び、すがってははねのけられ、追い続けてゆく。あんなに聞きわけのよかった少年だけに、そのどうしようもない思いがつらい。いい続けるセリフは表題のことば。「ととさまいのう」の繰り返しである。
 おとうさん。父上。とうちゃん。どれでもない。ととさまやああい、という絶叫だ。遠ざかってゆく父。雪の彼方に消えていく父。もう、数ヵ月後には命さえ失ってしまう父。そのかけがえのない肉親に届いてほしい少年の声だ。耳朶をふさぎ、一刻もはやく、ただ逃れるようにその父は駆け去ってゆく。


 この次の場面は上野寛永寺。前の寒く暗い雪夜と対照的な紅葉鮮やかで豪華な大道具。これが歌舞伎だ。法要のために将軍が参詣。そこへ宗吾が蓬髪粗衣で錦木に状を結びつけて直訴する。結果、村人は救済されるが宗吾ばかりか家族全員死罪という、木内惣五郎の歴史上の事実が待っている。そんな結果を知って「ととさまいのう」のセリフを聞くと、いっそう胸に迫る。
 彦七は父が出立する直前、うたた寝をして夢を見る。家族そろってお花見にゆくという楽しい内容だ。でもそれを語りながら「夢は逆夢というて、見たこととは逆さまじゃと人の話」などと切ないことをいう。子役を使って泣かせる芝居はあざといといって嫌う人もいるだろうが、この芝居は自然に引き込まれてしまう。自然さの表現は貴重なお菓子をもらって喜ぶさまや、おみやげということばに目を輝かせることがあるからだ。仏壇に供えていた砂糖菓子や、吾妻人形とか絵入本といった具体的表現があるからでもあろう。
 歌舞伎にもこんなリアルなものがあるのかと驚いたのは中学生の頃だった。思春期の真っ只中。涙を人に見られるのが恥ずかしい世代。でも舞台を見ながら涙が出てきた。まわりの観客に気づかれないようにこっそり眼を拭いて見回すと、前後左右の大人たちがハンカチを手にしたり、眼を真っ赤にしたりで逆にびっくりしたものだった。歌舞伎はリピーターが多いはずだし、見慣れているはずなのにと変に感心したものだった。それゆえ、人の親となった今でも忘れられない芝居のひとつなのである。


 ところで、わたしが毎週月曜父にいいふくめられて、楽しみにしていたおみやげは何だっただろう。おもちゃや漫画本ではない。正解はお菓子。静岡土産は安倍川餅やら追分羊羹などいろいろあり、今でも目にするが、懐かしいのについぞ出会えないものがある。静岡らしい羊羹で切ると雪を頂いた富士山型になる一竿だ。あの羊羹どこにいったのだろう。
 こうして甘やかされ甘え、甘党のわたしは、アナウンサーの大敵、虫歯持ちなのである。もちろん歯をきちんとみがかなかったからですぞ。



葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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