わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第18回】  道頓堀へ寄りゃんなや →バックナンバーに戻る

イラスト

 ニュースを伝える仕事をしていると、事件、事故のいわゆる発生物の第一報に触れることが多い。できれば悲惨な出来事は起こってほしくないし、悲しい内容は伝えたくないと思っているのだが、毎日、不幸なことや理不尽な犯罪がこれでもかというほど起きている。読めば一分ぐらいの長さにまとめられたニュース原稿には、さまざまな要素が詰めこまれている。時、場所、被害者、被疑者の氏名、年齢、職業、住所・・・・。わたしたちアナウンサーは憶測を交えず、ただ事実だけを伝えるのだが、内心はなぜこんなことが起きるのか、どうしてこんな犯罪が成立するのか、いぶかったり、頭をひねったりしている。そして、後の取調べ、裁判などの続報のたびに一報に抱いた不審や疑問を納得させてゆくのだ。


 作家はそんな事件をヒントに創作の筆をふるい、人間社会の縮図をあぶり出してゆく。
 近松門左衛門もそんな一人だ。実際にあった心中事件から「曽根崎心中」を人形芝居のために書き上げた。この事件は今からちょうど300年前に起きた。300年といえば、ここ数年「忠臣蔵」にその角書きがついた。一昨年は刃傷松の廊下から、去年は討入りから数えた年数で、演劇界だけでなく社会面でも賑やかだったが、今年も義士切腹から300年にあたる。元禄16年2月に浪士46人が見事に腹を切り泉岳寺に葬られた。それから2ヵ月後の陽春4月7日、大坂、曽根崎にある天神の森で心中事件が発生したのである。江戸では忠義のための武士の死。大阪では恋のための庶民の死。
 その一ヶ月後「曽根崎心中」が道頓堀の竹本座で初演された。近松をはじめ当時の作家は実に筆が早かった。まるでいろんな事件を待っていたかのように、現在のワイドショー顔負けの取材力で当事者のことを調べ尽くし材料にした。


 現在、歌舞伎でも人気のこの作品は、北新地の遊女、お初と内本町の醤油屋の手代、徳兵衛という若い男女が苦境に陥って死を選んだ一日を描く。心中当日の昼と夜の出来事、そして明け方前に死ぬという三場面で演じられる。 昼は藤棚が明るい生玉神社の境内。美しい二人の逢引も悪友の詐欺によって絶体絶命になる。そしてその夜、ふたりは心中を決意し、夜更けに廓を抜け出して曽根崎の森まで道行し、相対死(あいたいじに)を遂げるという内容だ。
 タイトルのセリフ、「道頓堀へ寄りゃんなや」はセールスマン徳兵衛が町でビジネスに走り回っているとき、偶然お初と出会い、ちょっと二人きりで話したいので、お伴についていた丁稚の小僧さんが邪魔になり、別の用を言いつける。いわば追い払うのだが、その時ふと思いついて呼び止めていうセリフだ。
 文楽の太夫も「アア、コレコレ、道頓堀へ寄りゃんなや」と語るし、歌舞伎でも先代、鴈治郎のなにげなくやわらかなセリフまわしが耳に残っている。
 全体の筋とは関係ないが、こんな些細なセリフで徳兵衛の人物や人柄、さらに大阪の風土まで伝わってくるから不思議だ。
 「道頓堀」はテレビでおなじみカニやら、人形やらが動き巨大ネオンまたたく歓楽街だから、このセリフは今の人たちにもわかる。 少年の小僧さんにとっては、お使いで外歩きするときついのぞいてみたくなる寄席、見世物小屋、芝居小屋などが300年前も軒を連ねていた誘惑の町だ。またこの芝居を上演している町の小屋でセリフを聞くと観客はくすぐったい思いにとらわれたことだろう。寄ってはいけない悪場所に自分がいる。それがまさに丁稚だったらそのままズバリだ。
 歓楽街の楽しみを少年の頃覚えると、長じては廓や岡場所に出入りして身を持ち崩すということも匂わせている。ただ、徳兵衛は女性に溺れて店の金を使い込んだという設定ではない。どちらかといえば、まじめに働いていた。お初とは純愛に近い。でも悪人である友人の姦計に陥って金を騙し取られ、金がなければお初と一緒になれないとあせり、切羽詰ってふたりは死への道を辿る。
 まじめだからこそ、浮わついた気持ちではなく、お初というひとりの女に命をかけ、お初も純な思いで徳兵衛との死が最善だと信じている。こんな設定が観客の共感を呼ぶ。


 「道頓堀に寄るなよ」というアドバイスは徳兵衛が自分にも言い聞かせているのだ。でも眼前のお初との久々の出会いは効しがたい魅力。生玉社の藤棚からは甘美な香りが漂っていたことだろう。ここから道頓堀までは歩いて10分ほど。江戸時代だったら何でもない距離だ。
 都会には繁華ゆえの誘惑が多い。人を楽しくさせるもの、お金さえあれば得られる快楽、いや金がなくてもその通りを歩くだけで浮き立つような気分にもなるものだ。それをたしなめてみせる徳兵衛は、逆に悪事を働いて友人の悪巧みから逃れる方法を見つけようとはしない。ただ一途にお初との死へ突っ走ってしまう。


 安定した平和の元禄期。都市経済が発達し、周辺の田園地帯から労働者が集まり、ともに豊かな暮らしから都市文化が爛熟する。しかし、だれもが豊かさを享受できるわけではない。目に見えるその差が悲劇を生む。
 よく、がんじがらめの封建制度のくびきから心中が相次ぐという見方をするが、そればかりともいえないという答えを近松は訴える。純粋に愛を貫いて未来、来世に思いを託すというものだ。苦しみから逃れるより、死の先にあると信じられていたものに夢をかけた。
 こんな心中がはやり始め、幕府は風紀を乱す心中を取締まり、見せしめのため、男女の遺体を晒し者にする。さらに忠義の忠という文字を真っ二つに切り裂く「心中」という文字も規制して(ことば狩り)、「相対死」と表現するようになり、「心中」は外題にも使えなくなった。そんなおもしろい現象のさきがけとなるのが、曽根崎における二人の死だった。この芝居の中に名セリフはたくさんあるけれど、あえてこのことばを選んでみた。


 ところで、ニュースを読みながらわたしがいつも心にひっかかるのは年齢だ。こんな若さで、こんなだいそれたことをとか、よい分別の年齢でつまらないことをしたな、などと思うし、42歳前後をみるとああ厄の回り歳だなあと短絡してしまう。
 ちなみにお初は19歳。徳兵衛は25歳。ともに厄年だった。心中場面ではこのことを歎きあうセリフもはいっているのである。
 あなたは、今年おいくつですか?



葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
閉じる トップへ
new_copyright2003.gif