わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第23回】  これがわたしの顔かいなァ →バックナンバーに戻る

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   おじさんたちの同窓会で盛り上がる話題は、まず病気自慢と健康法。そしてテレビ番組やコマーシャルの思い出。教師や友人のニックネーム。それに昔流行したものや古いことばなどだろうか。  先日は同世代の世間話で銘仙、モスリン、メリヤスなど布製品や生地の話が出た。具体的に覚えている人もあれば、ことばだけ記憶している人もいて、一様に「古い、古い」とわいわいがやがや。生産されていないので死語になっているものもあれば、化繊や新素材のことばに置き換えられているものもある。
 メリヤスは綿糸などを編み込んだ布で伸縮自在のすぐれもの。語源はスペイン語のmediasと辞書で知ったが、漢字でも「莫大小」と書く。江戸時代から使っていたことばだ。そして歌舞伎や邦楽好きには音楽用語としても有名だ。いわばBGM。三味線にのせた長唄の独吟として芝居のしっとりした場面に挿入される。しんみり気が滅入るので「滅入りやんす」でメリヤスとか、いや自在に伸び縮みできる奏法だから、など理由も面白い。


 どんな場面で使われるか、真夏なので怪談を例にすれば「四谷怪談」にある。お岩様で有名な物語だ。出産したばかりのお岩さんは衰弱して貧しい暮らしに耐えている。夫、伊右衛門は失業中、浪人暮らしだ。それでも愛情溢れる男ならお岩さんも我慢できる。ところが夫は邪険(じゃけん)で妻につらくあたる。家庭内暴力夫は江戸時代にもいた。
 伊右衛門はふだんから冷酷だが、金持ち娘から惚れられて妻が邪魔になった。さすがに殺そうとまではしなかったが、家を出て行けとばかり妻が着ている着物や赤ん坊の晴れ着まで質屋に持ってゆく。その上、蚊が飛び回っているじめじめした長屋なのに、蚊帳(かや)まで取り上げ、すがるお岩を突き飛ばし生爪を剥がしてしまうという残忍さだ。
 一方、伊右衛門の恋人の親も、裕福だが自分さえよければいいという人間。美人のお岩さんが醜くなれば夫も愛想を尽かすだろうと、毒薬を身体に良い薬だと偽って飲ませてしまう極悪人。よく映画の看板や劇画のイラストで怖い顔が描かれているが、それはお岩さんが悪巧みの犠牲になった結果の姿なのだ。



 歌舞伎では薬を飲む場面を見せる。まだやつれてはいるが美しいお岩さん。感謝しながら粉のひとつもこぼさずに飲みほす。すると発熱し寝室で休む。そして日が暮れてから起き上がると容貌はすっかり変わっている。観客はギョッとするがお岩さんは気付いていない。今の住宅のように照明が明るくないし、部屋に鏡やガラスなど姿を写すものがないからだ。しかし、伊右衛門にこき使われて、お岩の介抱をしている宅悦(たくえつ)という男が、手鏡を持ってきて、あえてお岩さんに変貌した顔を見せる。産婦は鏡を見てはいけないという迷信があったので拒むお岩さんに無理じいする。最初はびっくりして自分の顔だと信じない。でも現実なのだと打ち明けられて自ら鏡を手にし、じっくり見る。客席は固唾(かたず)を飲んで見守る。恐ろしくも醜い顔が自分のものとわかったときのセリフが表題のものだ。
 「これが わたしの、 これが わたしの顔かいなァ・・・・・・」
 絶叫というより悲痛な叫びだ。ここで観客は怖いとか恐ろしいというより「可哀想だな」と思ってお岩さんに同情する。僅か数時間で腫れ上がり崩れはじめた顔。お岩さんは何度も嘘であってほしいと鏡を見る。そして病気でそうなってしまったのかと絶望のどん底に落ちる。しかし病気ではなく夫やその恋人の薬のせいだと宅悦が真実を告げる。憐憫を覚えたからだ。それを聞いてお岩さんの憎しみが爆発する。あろうことか感謝して拝んで飲んだ薬が毒であり、自分だけが真実を知らなかったことの恥ずかしさで逆上する。
 そのはやる憎悪を内に秘めてまずするのが、あれほど嫌った鏡に向かっての化粧と髪梳(かみす)きだ。武士の娘の身だしなみ。やはり産婦がしてはいけないお歯黒をつけ、ゆっくり髪を梳(と)かす。ここが一番コワーイ場面。急に照明が落ち、メリヤスが始まる。
 ゆっくりした三味線の響きと独吟。歌詞は、「竹垣の草にやつれし軒のつま」と陰気な歌詞。荒れ果てた竹垣に朝顔の蔓(つる)がからみついたり、落葉やわびしいススキの様など陰陰滅滅。「瑠璃の艶(るりのつや)」という曲で鏡の瑠璃にもかかっている。
 「秋の柳の落ち髪も」とあり、髪梳きの最中、女の命でもある髪の毛がどんどん抜け、櫛にまとわりつき、それがおびただしい量に増えてゆくのを見せるので観客は背筋が寒くなる。曲の最後はメリヤスの語源どおり急に早まって「花なら物は思わじ」。このことばいっぱいでお岩さんは俯(うつむ)いて梳いていた長い髪を後へ撥(は)ねのけ顔を上げる。ここで客席が凍りつく。なんとほとんどの髪が抜け落ちて凄まじい顔貌(かおかたち)になっているからである。メリヤスのゆっくり過ぎる時の経過と歌詞の内容が容貌の変化に恐怖感を加味している。
 「これがわたしの顔」とあきらめ切った女性・お岩がなぜ化粧をするのか。それは、いずれ衰弱して死ぬのなら夫とその恋人にひとこと恨みを告げて死のうという女の決意がさせる、渾身の化粧なのである。
 「四谷怪談」はヒュードロドロのお化け屋敷的感覚で怖いと思ってはいけない。お岩さんという普通の女性の悲哀と絶望が怨念と妄執を生んで「化けて」出現せざるを得ないと観客に納得させる、いわば「悲劇」でもある。


  ふたたび、おじさんたちのたわごと。話題はもっぱら電車の中の若い女性。
 「四角のでっかい鏡、膝の上に立てて延々化粧してんだぜ。周囲なんか全然気にしないんだよな。」
 「そうそう。使用前、使用後、全部見せてんだよね。あんな女の子の化粧にころっと参る男って、なんか悲しいよね」
 人前で化粧をし終えて、やっと「これが わたしの顔かいな」と納得して電車を降りてゆくお嬢さんたちは満足そう。
 でも女性だけを責めるわけにもいかない。スーツ姿ばっちりのカッコマンは真剣に漫画にかじりついているし、おじさんたちだって凄い写真の載ってる週刊誌や新聞を堂々と広げている。平気でパンを食べたり、ペットボトルや空き缶を床にごろごろ転がしたり。やはり、いまどきの通勤電車なんか変だ。
 嗚呼「これが ニッポンの 朝かいナァ」


葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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