わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第24回】  存在してきたことは消せぬ →バックナンバーに戻る

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  末期癌患者と30年間向き合ってきた柏木哲夫さんの専門は精神科だ。告知とともに半狂乱になる人、意気消沈する人、なんとか必死で生きようとする人と対し、さまざまな心の奥底を見せられてきた。ホスピスという基本的には治療を行わない終末医療施設で、患者の心身両面で苦痛をとりのぞく努力を続けている。
 柏木さんの口癖は「生命は終焉を迎えても、『いのち』は終わらない」である。
 肉体は滅びてもその人の生きてきたこと、為してきたこと、存在していたことを思い出す人がいるかぎり、亡くなった人は永遠であるという。

 立派に死んでゆく人に出会うたび、柏木さんは、その人の顔や存在が輝いて見えるという。たとえば、小学生の息子たちに、お父さんの死をしっかり見ておきなさいと伝え、最後まで病気と闘い、臨終に際しこどもと握手しながら「さようなら」と告げた37歳の男性。渓流釣りが趣味だった中年男性は、死ぬ前にせせらぎの音が聞きたいといい、それが無理ならせめて車椅子で、と病院そばの淀川に少しの時間外出した。どうでしたかと尋ねた柏木さんに「もう満足です」とひとこと。結果、一週間ほど寿命を縮めてしまったけれど、顔はぱあっと輝いたと教えてくれた。


 比叡山で最澄の若き日を中村鴈治郎が演じた。天台宗を開いてまもなく1200年。それを記念して薪歌舞伎と名づけた創作公演があった。タイトルは「比叡の曙」。19歳の最澄が比叡に籠もり古木から仏像を彫る。本尊誕生のエピソードだ。そこで灯火を献じる。これが1200年伝わる「不滅の法灯」だ。そんな最澄伝説を東龍男の脚本はうまくまとめている。
 薬師瑠璃光如来を彫っているあいだ、さまざまな煩悩を怪かしの集団や恋人、母などの姿で登場させ最澄を責めたてる。しかし、最後には仙女が現れ、玉鑿(ぎょくさく)を与え完成させる。しばらくたって、再び姿を見せた仙女は最澄に太刀を振り上げ、仏の前にお前の命を差し出せるかと聞く。最澄はこういう。
 「たとえ仙女といえども、私の肉体を切り、この世から消すことができても、私が為してきたことを消すことはできませぬぞ」
 すると仙女は、
 「存在は消せても存在してきたことは消せぬか・・・・」とつぶやき、光に包まれ花道を去ってゆく。
 驚くべき若さの鴈治郎に対し、仙女は市川亀治郎。仙女の神々しさをうまく出していた。阿弥陀堂と法華総持院東塔に囲まれた空間の中央に花道が作られ、くだんのセリフのあと堂々と歩み去っていった。鴈治郎のセリフが体の奥からのほとばしりであり、それを受けた亀治郎のセリフがまた生きたため、奇跡の物語を単なるファンタジーに終わらせなかった。
 幕切れは、悟りを得た最澄が渡唐し、高僧になって比叡に再び戻る姿をみせる。セリフはまったくなく、両手を広げ、やはり中央の花道をゆっくりはいってゆく。鴈治郎の身体が発光するように感じたのは比叡の霊気のせいだろうか。


 比叡山での野外歌舞伎は、日が暮れてから篝に火入れをした。根本中堂に守られる不滅の法灯からの火だ。「一隅を照らす」のことばに象徴されるように、暗い世の中だからこそ明るさを増すのだという説明も、どんどん闇が舞台に忍び寄ってくると真実味を増す。人一人の存在の明るさ、その強弱も、その人を思い出す人の思いの深さ、懐かしむ強さによるのだろう。
 メーテルリンクの「青い鳥」でも、チルチル・ミチルが旅の途中、亡くなった祖父母に出会う。「お前たちが思い出してくれれば、わたしたちはいつまでも生きていられるのだよ」という。
 思い出に生きるということは決してさびしいことではない。人々の思い出に生き続けることこそ大切なのだ。

 
 
 
 
 これまで3000人の命と対面してきた柏木哲夫さんは、いつも患者の人生に濃密に触れ合い、あまりに重いものを抱えすぎて頭がパンクしないのだろうか。柏木さんには息抜きの趣味がある。川柳だ。新聞に投稿して21回も掲載されたと嬉しそうに語ってくれた。その入選作の一句。
 「腹割って話してわかった腹黒さ」
 友人の医師のこと。なんと専門が外科だという。人生の達人は、人間という存在の重さも知り、自分の心を軽くする技も持ち合わせているのだ。

 

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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