わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第30回】  オリンピックは参加することに・・・ →バックナンバーに戻る

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 ある公務員の課長と話をした。職場研修で若い課員に座右の銘を書かせた。なかに「針小棒大」と記した人がいて、質問をするとこう答えたという。
 「小さな努力を積み重ねて、太く大きな成果が出るようにしたいと思っています」
 「おおげさ」という本義どおり、いやそれを通り越した解釈。これでは針にも、いや箸にも棒にもかからない答えである。
 「情けは人のためならず」(他人のためにならない)とか「気の置けない人」(気を使う)などあべこべ覚えの若者が増えているが、格言、ことわざ、常套句といった、ちょっと便利で気が利いているように見えるけれど、勘違い使用法で自ら墓穴を掘ってしまうことは、若者に限らず中高年者にもあることだ。特に、わたしは職業上、口をすべらせ恥ずかしい思いをすることが多い。また、失敗ではないがインタビューなどで常套的表現がまったく通用しなかったり、安易な質問ですぐぼろが出てしまうことが多々ある。


 今年はオリンピックイヤーなので、芝居ではなく、スポーツの達人でもあり、すぐれた日本語の表現者でもある井村雅代のセリフを紹介しよう。井村はシンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ。俗に「鬼の井村」といわれるほど厳しいコーチとして有名だが、シンクロがオリンピック正式種目に採用されたロサンゼルスから過去5回。すべてメダルに結び付けている貢献者でもある。特に前回のシドニーではずっと銅だったメダルを銀に、それも限りなく金に近いといわれた色にしてくれた。
 ロシアが以後、真似をする「空手」をとりいれた躍動感溢れる演技は、記憶に残っている人も多いだろう。実は、あの決勝の日、選手は総崩れになっていた。前日の規定で極めていい点数だったことが「禍い」して、チームの士気が揃わず、もちろんシンクロどころか足元さえふらつく絶望状態だったという。それを数時間の内、銀を獲得できる成績にまで戻したのは「選手ではなくわたしがあきらめるか、あきらめないかの問題」と判断。自分が妥協せず、叱り飛ばすことで取り戻したという。
 そんな話の中で、わたしは使い古されたセリフをこう使った。
 「オリンピックには魔物が住んでいるんですね」
 期待する答えは肯定。そして次の話題へと思ったが、井村はキッとなってこういった。
 「オリンピックに魔物なんて住んでいませんよ。魔物も宇宙人もいません。オリンピックに臨むのは人間。そのなかで強い人間だけが勝つんです。負けるのは魔物なんかじゃなく、自分という人間の心や欲のせいです」
 このみごとなセリフは20年以上も世界の第一線で戦ってきた人ならではのものだ。


 井村の叱り方は、尋常ではない。マイクを使ってプールいっぱいに響き渡る怒声。ぜったい褒めない。
 「練習を褒めてどうするんです。できて当たり前。試合に勝つために練習してるんですから」
 個人を叱る時はマイクを置く。水中にいる選手たちに緊張感が走る。罵声を浴びることがわかっている選手はゴーグルをはずさない。顔がゆがんでいる。涙を流しているからだ。井村もそのプライドだけは守るという。
 また、わたしの思い込み質問。
 「厳しく叱るのは選手のためですよね」
 これも目が鋭くなって、言下に否定。
 「選手のため? とんでもない。叱るのはわたしのためですよ」
 「相手のためになんて思っていたら、これだけしてやってるのに、と愚痴とか不満しか出てこないでしょ。選手の欠点を見過ごさずとことん指摘するのは、自分が後悔したくないから。選手をひっぱりきれなかったと思い、挫折した自分と生きてゆくのはイヤだからですよ」と明確。選手から好かれたいとも思っていないと言い切る。

 

 非常に良い成績のビデオもイメージトレーニングとしてきっと繰り返しみるんだろうという、わたしの浅知恵も裏切られた。
 「成功したものは見ません。次の自分が踏み出せないから」
 これも好きなセリフだが、しめくくりに、オリンピックといえば一番使われることばに返された井村の名セリフを書こう。
 「オリンピックは参加することに意義なんかありませんよ。闘うことに意義があるんです。挑戦状を叩きつけて真っ向、戦うことに意義があるんです」
 戦争なんかするぐらいなら人間の英知をオリンピックという、こんな崇高な戦いに注ぎ込みたいと思わせるセリフである。
 

 シンクロは泳ぐ技術だけでは得点できない。音楽、振付、演出、メイク、衣裳、あらゆる一級のセンス、その上に国民性が問われる採点競技だ。西洋のクラシック一辺倒だった日本シンクロ界に、井村が小川博興の「日本の城」という邦楽器も使用した交響曲を採用し、大評判になったのが23年前。今年は阿波踊りなど「祭り」をキーワードに「日本」代表の美技でアテネに臨む。
 「美しければ点がもらえるわけじゃないんです。シンクロはショーじゃなくて勝負。点がとれてなんぼの世界」大阪人だ。
 これほどメダルに固執する井村雅代はコーチ。もちろん一枚のメダルも持ってはいない。
 「針小棒大」はおおげさな表現なんだけれど、強烈な井村語録に触れていると、審査員の「心証」も凄く良くなって採点が「膨大」であってと思わずにはいられない。
 
 

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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