わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第35回】  心の痛みもようやく癒えた →バックナンバーに戻る

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 今年の夏はとりわけ暑かった。そんななか高野山に登った。世界遺産登録を記念した行事を生中継するためだ。電車とケーブルカーが急な斜面を登り詰め、標高900メートルの聖地へと楽々導いてくれる。空海の特集や「国宝探訪」というテレビ番組の語りであこがれていた壇上伽藍(だんじょうがらん)へも拍子抜けするほど簡単に辿り着いてしまった。杉の山道をわが足で汗流しながら登坂しないと着けないと思い込んでいたからだ。しかしそれで、めざす金堂や根本大塔、そして霊宝館に収められている宝物のありがたみが減じるわけではない。仕事とはいえ、得がたい多くの出会いに感激した。そんなお参りのもうひとつのご利益は涼しさだった。
 ほの暗い堂内に座すと、どこからともなく風が流れ、政府目標の冷房設定温度28度より体感的にもぐっと低い。無意識に長袖を羽織った自分にびっくりしてしまった。そして耳の中の涼しい音、いや声がした。蝉しぐれ。真夏のジジ−ッやジャーッ、ジンジン、ミンミンとは全然違う「カナカナカナ」という響き。ヒグラシだ。劇画風の表記ならカナという文字が次第に小さくなってゆく。消え入りそうに哀しい声だ。平地で盛夏到来の時期に、もう秋の入口を聞いてしまった。
 そんなとき、三日前に東京でヒグラシを聞いたことを思い出した。木陰ではなく歌舞伎座の客席で。「修禅寺物語」の舞台である。


 古典歌舞伎は三味線音楽が雰囲気をつくり、ドラマを盛り上げる。ところが、新歌舞伎という近代になって上演された作品群のなかには、三味線どころか、現代の戯曲にはつきもののBGMという音楽も一切ないものがある。そのひとつ「修禅寺物語」は岡本綺堂の傑作だ。舞台は伊豆、修善寺の山中。三味線のお囃子では村里をあらわす在郷唄などで始まるが、この作品はシーンとした中で幕が開く。コンコンと言う音だけ響いている。木槌で紙を打っている音。地元の特産、修禅寺紙という和紙を砧(きぬた)で柔らかくしている姉妹の労働から始まる。
 桂と楓(かえで)という姉妹は面作師(おもてつくりし)・夜叉王(やしゃおう)の娘だ。こんな田舎暮らしが嫌で京や鎌倉での生活に憧れる姉。すでに父の弟子と結婚している妹。気位の高い桂と堅実な楓の会話が砧の高い音と共に始まり、セリフをひとことも聞き漏らすまいと思わせる。
 この修善寺には将軍職にありながら母、北条政子から疎んじられた頼家が流されている。夜叉王は面打ちの名人として噂が高いので、頼家から自身に生き写しの面の製作を命じられていた。しかし、職人気質の夜叉王は何度打っても思い通りの面ができないで悩んでいた。
 そこへ頼家が家臣とともにやってくる。しびれをきらしたのだ。花道から登場する時、薄暗くなっている。日暮れ時なのだ。その時、ヒグラシが鳴いている。
 「カナ カナ カナ・・・・・・」
実は幕開きから鳴き始めている。声が大きくなったり小さくなったりして、照明が落ちた夕暮れの静寂を、ヒグラシが教えてくれる。
 頼家は短気だ。いつまでも面を完成させない夜叉王を斬ろうとする。すると姉の桂が面はここにあるといって、父が不満足に思っている作品を出す。それを手に取りじっと見て、頼家はひとこと「見事じゃ」と嘆声を漏らす。
 夜叉王は、なぜそれを渡さなかったかといえば、何度作っても面は生き生きしていない、死んでいる、不出来だからと抗弁する。だが頼家は、満足し持ち帰る。それとともに姉娘を側女として望む。高貴な暮らしを夢見ている桂に否やはなく、一行とともに面箱を持ち花道に去るところでこの場は終わる。


 すぐ次の場面になる。供を先に帰した頼家と桂が夜道の虎渓橋にかかる。ここがまたシーンと幕が開く。花道からふたりが歩み出すと虫の音が響く。河原の叢(くさむら)のすだき、薄(すすき)や葦など秋草が舞台に配されている。しかし真っ暗ではない。川面がきらきらしている。月光が照らしている。
 ここで名セリフのひとつ、
 「おお、月が出た・・水の音、虫の声。山家の秋はまたひとしおの風情じゃのう」
 桂は、鎌倉の賑やかさで育ったあなたは、こんな山里でさびしいでしょうと慰める。すると頼家は少しカッとして(短気なのだ)、あんなところはうわべの栄え、野望渦巻く最低のところだと吐き捨て、
 「おそろしき罪の巷(ちまた)、悪魔の巣ぞ。人間の住む所でない。鎌倉などへは夢も通わぬ」と語気荒げる。
 愛する若狭の局も暗殺され、母の北条一族からこの伊豆に流され幽閉された身。だれも救いの手を差し伸べてはくれない。孤独な天下人、頼家の独白は哀れだ。そんな身にやさしさをみせる桂の心根と湯の里、修善寺に思いをめぐらし、わたしの大好きなセリフ。
 「温かき湯の湧くところ。暖かき人の情けも湧く。恋を失いし頼家は、ここに新しき恋を得て、心の痛みもようやく癒えた」
 月の光、虫の声、そして川のせせらぎ。この川音だけは古典歌舞伎の音。太鼓で小さく「ドンドンドン」ととどろかせている。いずれも平和で穏やかなイメージが連続し、観客は静謐な名セリフをゆっくり味わえる。

 

 ところが、このあと暗殺者の一団がやってきて頼家は命を落とすことになる。そこは舞台では演じられない。次の三場は再び夜叉王宅。ここへ逃げて来た修禅寺の僧のセリフで観客はそれを知ることになる。
 壮絶な幕切れは、娘、桂が瀕死の状態で駆け込んでくる。顔には父が打った頼家の面をつけている。頼家の身代わりになるべく、宵闇を利用して敵の目をごまかしたのだ。しかし、その甲斐もなく父の腕の中で死んでゆく。決して後悔はしていない。高貴な身分の頼家と瞬時でも心を通わせることができた満足感で死んでゆく。
 死をみとる父、夜叉王も実は満足している。それは自分の面が駄作ではなく、頼家の死を予見していたかのごとく、打っても打っても死相しか出なかったのは、自分の腕が優れていたと悟ったからだ。
 「伊豆の夜叉王。我ながら、あっぱれ天下一じゃのう」と嘯(うそぶ)く。
 

 このように、この作品は名セリフ尽くしなのだが、今回あえて頼家の「心の痛みもようやく癒えた」を表題にしたのは、何度も何度もこの舞台を見たあげく気付いたことがあるからだ。
 それは修善寺の出湯(いでゆ)や桂の優しさに「癒えた」といったのは、もちろん真実なのだろうが、頼家が自分のつらい、孤独で、人を恨むだけの境涯の中、この日、初めて己が面(おもて)をじっと見たとき癒しを覚えたのではないかと思ったからだ。それは夜叉王が死んでいるといった頼家の死相。しかし、それは醜くおぞましい表情ではなく、やっと偉大な父、頼朝の息子という身の上と二代鎌倉将軍という呪縛から解き放たれた、おだやかな自分の死に顔を見たからではないだろうか。もちろん自分の最期が間近いことも悟って。
 自分の死相に心癒された頼家。そのときヒグラシが人生の秋を静かに教えてくれていたのだ。
 元久元年。陰暦7月17日の出来事。歴史に残るたった一日の昼、日暮れ、夜を描ききった岡本綺堂。現在の暦では9月近い山里、そして満月から2日目。戯曲の中に史実のなにもかもが揃っている。


 高野山で聞いたヒグラシも伊豆のヒグラシも夜には鳴き止み、虫の声に変わる。そして足音が近づくと、それも止む。
 武具甲冑を軋ませた侍集団の足音と刀で斬り結ぶ無惨な雑音に頼家、桂の最期の平穏がかき消されてしまった。虫の音が絶えた瞬間、もうふたりの人生は終わっていたといえよう。
 こんな歴史劇のもうひとつの名セリフが実は人間のことばではなく、虫の声や砧の音、せせらぎや頼家が命を落としたといわれる風呂に注ぎ込む湯の音なのかもしれない。
   ところで、セリフを、もう一度見てもらいたい。語尾に「じゃ」が多いことに気づくだろう。昔話の老人がよく使う語尾だ。いったい、わたしたちは何歳になったら「じゃのう、ばあさん」ということばを使い始めるのかという笑い話がある。でも夜叉王は20歳前後の娘の父。頼家も若い。それを考えると年齢ではなさそうだ。
 ええっ?そんなこと悩んでいるなら、もっといい文を書け?お大師さまの声が聞こえてきそうだ。
 「これがほんとの蛇(じゃ)足じゃのう。」

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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