わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第37回】  まっ白な ままやヨウ →バックナンバーに戻る

イラスト

大阪の地下鉄に乗った。ドアのそばに立って、ぼんやりガラスに目をやっていると反対側の窓に貼ってある広告の文字が映っている。
 ひらがなだが逆文字だ。それをさらに逆さに読めば「くっちない」はて? 何の宣伝だろう。考えさせる良いコピーに違いないと思って、振り返って失笑してしまった。自分の勘違いにである。「ち」ではなく「さ」。みなさんは「さ」をこの印刷文字の「さ」と同じに書くだろうか。丸く続けず三画目は左上から右下へのカーブした一筆が多いはずだ。鏡に映ったとおり「ち」とそのまま読んでしまったため、わたしの単純な頭では「くっちない」だったのだ。
 正解は「くっさない」。たばこ会社の宣伝。関西以外の人にこの意味がわかるだろうか。わたしは考えすぎ。禁煙ブームに「屈さない」かと思った。ところが新発売のたばこパッケージと周りの男女はミュージカル「キャッツ」のような扮装。また、さらなる自分の勘違いに笑ってしまった。たばこの煙が「臭くない」の大阪弁「くっさない」だった。「ない」の語尾を上げて発音しなければわからない。地方広告の代表だ。


「臭い」と匂いを感じるのは「鼻」。そして方言。それで最近見た芝居を思い出した。
 「はなのお六」という喜劇。もともと松竹新喜劇で藤山寛美が演じた当たり役「はなの六兵衛」(作・一堺漁人)を、娘の直美が主人公を女性に置き換えて再演を繰り返している人気作だ。
 大和の国から農家の娘が江戸に出てくる。不作や年貢の重さから生活が苦しくなったため、お江戸で働き、親孝行がしたいという大望がある。しかし現実は厳しい。路銀も使い果たし空腹でたどりついたのが芝、増上寺の御霊屋門前。田舎娘の貧しい身なりと絢爛豪華な建物が対照的な幕開きだ。門前茶屋の女将から、お江戸はこわい所だから故郷に早く帰るよう諭される。また親切な人には気をつけろとも言われる。そこに白い鳩が現れ、大屋根の向こうに飛んでゆく。なにやら布をくわえていた。
 御霊屋には御参りの人がたえない。そんな中に、染物の伊勢屋の番頭や伊勢屋に世話になっている口入稼業の竜五郎らもいる。最近、有馬の殿様から預かった御旗を天狗風に奪われ探しているのだ。御旗は将軍家から拝領した家宝、紛失が明るみに出れば42万石が取り潰しにあう一大事。必死の探索の最中であった。
 そんな騒ぎと関係なく、お六はただ空腹と絶望感から「大和へいにたい」と泣き出す。「いにたい」は帰りたい。「去にたい」という文字になるのだろう。こうした大和訛りが次々に出て客席を笑わせる。「かんにんしてヨウ(許してください)」やら「待ってンカイサア(待ってください)」たぶんに、直美弁もあるのだろうが父、寛美の声音にも似る大和訛りが往年の贔屓を喜ばせるところだ。
 結局、そんなお六の明るい素直な性格を気に入って、竜五郎が自宅でしばらく面倒を見ることになる。口入稼業の親分である風格と情をあらわす小島秀哉も達者だ。


 かわって竜五郎宅の場。染物屋の伊勢屋は、有馬家から御旗のしみ抜きを依頼され、干し場で乾かしているうちに風にさらわれたという。その難儀をなんとか救いたいと、竜五郎はお六に打ち明ける。お六にはひとつの才能があった。鼻が利くことだ。なんでもかぎ分けてしまう。今日も竜五郎と初対面の時、染物屋の匂いがするといって伊勢屋の帰りであることをいいあてたり、夕食のお菜を細かくかぎ分けていた。竜五郎は藁にもすがる思いでお六に御旗探索に協力してくれるよう依頼する。ところがその時「ご用だ」といってお六は捕らわれの身となってしまう。もしかしたら「大切な御旗を洗い張りに出した殿様は阿呆だ」とか「そんな殿様に禄を出す将軍さまは日本一の大ばか者じゃ」と悪口を叩いたことを聞かれ、手討ちになるかしれない。

 

 さらに観客に伝わる感動は、お六の空腹感にある。竜五郎の家でふるまわれる夕食。お櫃から茶碗に飯をよそう。芝居なので所作だけだが、盛り付けたご飯が見えるようだ。そして、すぐ箸をつけずこういう。
 「おおきにヨウ まっ白な ままやヨウ」
 空腹を満たす喜びより、米作りをしているのに大和ではもはや口にできない白米と出会えた素直な喜びやら、同じ空腹を覚えているであろうふるさとの親への思いやらが見えてくるセリフなのである。序幕からたびたび使う「ヨウ」という語尾が哀愁を帯びて聞こえる。
 そして幕切れの三百石。金銭で百両、千両といわれるより石高の数が米という食の豊かさに繋がって聞こえるのが、貧農出身を身体で顕した藤山直美の手柄だろう。

 

 ところでなぜ大和出身のお六の鼻が利くのかといえば、大和吉野は「花」の名所だとか。上方喜劇には地口ということば遊びがとりいれられるが、この名作にもふんだんに使われている。
 そんな上方の地下鉄たばこ広告はちょっと軽いかな。いえ、ニコチンではなく表現が。もっとわかりやすく有名なコピーが大阪市営地下鉄にはある。
 「チカン アカン!」
 これにはかなわないでしょ。

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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