わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第38回】  残らず聞いておりました →バックナンバーに戻る

イラスト

 建築家、安藤忠雄。いまや世界のANDOだ。毎月、世界一周するという。ヨーロッパ、アメリカ、アジア各国のさまざまな建築現場や予定地、学会などを回るためだ。その特色はコンクリート打ち放しの独創的なデザインと構造で、発表するたびに話題を呼んでいる。
 そんな作品を生み出すアトリエ、安藤忠雄建築研究所は新大阪駅近くにある。5階建てのビルは中が吹き抜けになっている。安藤が常にいるのは1階。各フロアの若き所員たちは気が抜けない。なぜなら突然、指示が飛んでくるからだ。例のだみ声と大阪ことばで。安藤は思いついたら、すぐ調べさせ、連絡をとらせ、設計図を持ってこさせる。矢継ぎ早に仕事を進めるが、全体を吹き抜けにしたことで、最上階にいる所員にまで意思が直接その場で伝わるのである。
 「社長室や会長室、普通はビルの最上階にあるでしょう。あれが、あかんのですわ。社員がなにしよるか、さっぱりわからん。お互いの意思が通じひん。それで、いろんな問題が起きよるんやナ」
 なるほど、御説ごもっとも。世界を相手に質が高く膨大な仕事をこなしている人ならではの発想だ。そんな声を響かせるための吹き抜け空間を可能にするのがコンクリートと鉄筋という素材だ。


 普通のコンクリート建築は共同住宅でわかるように分厚い壁で区切られ、プライバシーが守られる。ドア一枚閉めてしまえば、隣は何をする人ぞである。これは家庭内にもいえる。個室を与えられた子どもたちの様子はわかりにくい。リビングから親が呼んでも聞こえない。
 ところが日本の伝統家屋は違う。木と紙、土と布、それらの組み合わせでできている。部屋は障子、襖、暖簾などで区切られてはいるが、それらを取り払えば広間としても使える。
 フレキシブルな伝統住居はそれなりの生活作法を生んだ。唐紙一枚向うの存在を意識して暮らすということだ。他人ではなく家族であっても気配を感じ、様子を察する。それは、まさに日本人の生き方を育む家でもあった。


 それを痛感する芝居が「野崎村」だ。大坂郊外の農村地帯。有名な観音様で知られ大坂から日帰りで参拝できる距離にある。陸路のほか舟でも乗り付けられる水路が四通八達の村。そんな川辺に一軒の農家。久作の住まいだ。茅葺屋根の家。上手(右隅)に障子で囲われた部屋。正面中央は暖簾がかかり奥への広がりを教えてくれる。下手(左)に入り口。縄のれんが下がっている。外には庭木戸。正面の庭からも濡れ縁があって上がれるようになっている。なんとも開放的。門口の梅の木に花が咲いて鶯も鳴き長閑(のどか)。
 そこに暖簾をわけて主人公のお光という快活な娘が登場する。許婚の久松と今日、結婚式を挙げる。うきうきした様子も可愛らしい。しかし幸せなほのぼのムードはここまで。
 これは悲劇である。久松といえば、お光ではなく、お染だと思いつく人は正解。お染久松心中事件の芝居なのだ。お光という婚約者がいながら、久松は奉公先である大坂の油問屋の娘・お染と深い仲になってしまった。お染には親の決めた縁組がある。また久松は大金を紛失したため久作に弁償してもらい、お光と祝言しなければならなくなっていた。そこへ、久松を慕って、お染が野崎村を訪ね、お光と鉢合わせ。洗練されたお嬢様の様子に腹が立ち、嬉しさの頂点から疑心暗鬼の渕に落ちるお光。

 

 久作がみかねて奥にお光を連れ去ると、いれかわるようにお染が久松に「会いたかった」と縋りつく。ここは、大声を出して騒いではいけない。奥の間には久作、お光、右の障子の部屋には病気の母が臥せっている。声をひそめながら恋人同士が「別れよう」「それなら死ぬ」などとやりとりをかわす。そして心中しようと決意したところへ久作が「その思案悪かろう」といってふたりをたしなめる。
 今もよくある若者の短慮を人生経験と慈愛で諌め、納得させようとする老人が久作だ。久松は切羽詰って、お染と別れ、お光と所帯を持つと約束する。そこへ綿帽子姿のお光が再登場。花嫁姿だ。しかし、綿帽子を取ってみれば、なんと髪を切り下ろしていた。びっくりする一同に、
 「ア、もし、ととさんも、おふたりさんも、なんにもいうてくださんすな」とお光。
 このあとが表題のセリフ。
 「最前から残らず聞いておりました。思い切ったといわしゃんすは、義理に迫った表向き。底の心はおふたりながら、死ぬる覚悟でござんしょうがなア」


 だから、わたしのほうが思い切って、髪も切りこんな姿になったと、衣裳を肌脱ぎすると袈裟をまとった白装束。尼になっていた。勝気で行動的なお光が後半は健気な身の処し方をみせる。心中覚悟のふたりの命を助けるため自ら身をひいたのだった。無分別な都会者と自己犠牲の田舎娘。お光の純粋な心がキラキラ輝く場面だ。
 お光にそんな分別をさせたのは、この家の構造だった。暖簾の奥で婚約者と恋敵との会話を漏れ聞き、はじめは嫉妬と怒りでいっぱいだったはずの胸に変化がおきる。このふたりが心中を覚悟したのは、お染が身ごもっているためで、もう嫁にもいけないと知る。そこへ、義理という建前で納得させようとした久作の意見。そこに深い父の愛も感じたが、お互い若い者同士、ふたりが陰で死ぬ決意をさらに固めたことを悟ったのだ。
 かすかに聞こえてくる会話、その中で自分の生き方を決め、髪に刃物をいれ、出家姿も整えた。別間で過ごしたお光のつらい時間が「残らず聞いた」というセリフと尼姿に凝縮している。
 冒頭、鶯が鳴いて長閑と書いたが、お染が花道から登場するとき、先導する下女が久作の家はあそこらしいと大声で喋る。するとお染は「もそっと静かに言やいのう」と嗜める。「世間」を憚って訪ねているというのだ。幕切れもお染の母が乗ってきた駕籠には久松を乗せ、自分と娘は舟で別々に店に戻るという。それも「世間」の目がうるさいからだ。静かな村の一軒に誰が出入りするか、誰かがどこかで見ている。なるほど、伝統家屋は世間と内の境目がきわめてゆるやかなのだ。垣根や植え込みでの境界。世間との距離のとりかた付き合い方も家の構造が教えてくれていたのかも知れない。


 でもこんなに、お光が自分を犠牲にしてくれたのに、結局、お染久松は心中してしまう。そんな悲惨な結果を知って見ると、お光の悲哀がより一層際立ってくる。
 幕切れ、お光が舟と駕籠を見送る時、舞台がぐるりと廻って、久作宅の裏手になる。障子窓を開けてまず別れを告げ、数珠を持って縄のれんから姿を見せ、船ではなく駕籠ばかりを見る。もちろん久松だけを見ているのだ。
 この家には明日をも知れぬ病母と老父の久作。そして自分。この三人が残される。早春の風の音だけしか響いてこない寂寥の日々が続くのである。


 江戸時代の大坂町屋。庶民は長屋住まいだった。現代の大阪にある「住吉の長屋」は安藤忠雄の出世作。寝室へは中庭に出なければ行けない。コンクリート素材とともに自然を感じる刺激の家だそうな。超近代的な素材イメージのある安藤建築だが、太陽光線や水、緑など自然をいつも意識して設計している。
 瀬戸内の美術館は構造物を地下に埋め込み表面は植樹。いずれ緑に覆われつくすという。淡路島の寺は池の水中に本堂を沈め、日光が水を通って堂内に差し込むという「水御堂」。いずれもコンクリートだから可能で、風景を損なわない。
 そんな場所で耳を澄ませば、自分の心の声が残らず聞こえてくるかもしれない。


葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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