わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第43回】  我が子の声の聞こえ候 →バックナンバーに戻る

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京都大学霊長類研究所で、ある実験ビデオを見た。霊長類はヒトとその仲間。決してサルではない。チンパンジーやゴリラの研究者にサルといいかけて叱られたことがある。一匹ではなく一頭もしくは一人と呼んで下さい、と念を押されたこともある。それはともかく、私が見せてもらったのはヒトの「人体実験」。それも乳児と書くと虐待?に思われそうだが、正高信男教授の研究は実に興味深いものだった。テーマのひとつは「ヒトはどうやって言語を覚え、発するようになるのか」というもの。新生児を観察し、ある実験を試みる。まず、ベッドに寝かせた赤ちゃんの頭の左右に小さなスピーカーを置く。そこから別々に音を流す。どちらも優しそうな女性の声で「よし、よし、よし、よし」と囁きかける。一方は赤ちゃんを扱いなれている保母さんの声。一方は乳児の母親の声だ。その結果、頭を傾ける、つまり首をめぐらすのは母親の側。そう、おかあさんの声を聞き分けているというものだ。
 無意識の反応かもしれないが、まだ顔の認識ができない赤子は、しっかり母親の声が聞き分けられるというのだ。それは授乳時や寝かせつけるときに、必ずおかあさんが子に向って発する「よし、よし」ということば。自分に向けられた母のメッセージを意味ではなく、音として認識しているというのだ。空腹を満たし、心地よい思いをさせてくれる音が母のかけることばなのだろう。


 逆に母親は我が子の声を聞き分けられるのだろうか。赤ちゃん時代の泣き声、カタコトを話し始める幼児期。もう、たまらなくかわいい声や表現だ。それが生意気な口を利き始めるようになり、変声期を迎える。そして社会人になり、よそ行きの言葉遣いで変貌したり、都会暮らしで里訛りを忘れてしまったり。声も話し方も、どんどんかわってゆく。それが親にとっては成長を知る喜びでもあり、寂しさでもある。
 こどもの声が忘れられないという中には、不幸な出来事を体験し、強くこどもを追い求める人が多いだろう。突然の病や事故によって命が失われたり、理不尽な事件に巻き込まれて再び会えなくなったりしたケースだ。とくに最近は拉致、誘拐、殺人など非道なできごとが多すぎる。


 能の「隅田川」は、かどわかし、つまり誘拐された子を捜し求める母親のドラマ。600年前も、現代も残酷な物語は絶えない。
 都に住んでいた母は人商いに連れて行かれた我が子を探し迷う。噂を聞いて東(あずま)へ下ってくる。辿り着いたところが隅田川のほとりだ。
 時は春、3月。いまでいえば4月だから墨堤は桜で明るい季節を迎えていたかもしれない。母は渡し守の舟に乗せてもらう。同乗している旅人が向こう岸に人が集っていることに気づく。船頭はその地で行き倒れになった旅人を回向しているのだといい、向こう岸につくまでそのいきさつを話す。
 去年死んだ旅人とは人商いの男に連れられてきた少年。病になってひと足も歩けなくなった。男はそこへ打ち捨てて陸奥へと急いでいったという。ほかのこどもたちを売りに行かなければならないからだ。土地の人は少年を介抱したが、もう虫の息だった。京の都、北白川に住んでいて、父が亡くなり母と二人で暮らしていたらしい。自分が死んだら後に柳を植えてくれといってはかなくなった。
 ここまでの物語を聞いていた母は、真顔に戻り、再び少年の身元を尋ねる。すると年齢は12、名は梅若丸、父の名は吉田・・・あれほど捜し求めていた我が子だった。決定的な言葉は、その子を捜しに誰も来なかったというもの。来ないはずだ。わたし一人が探していたのだからと自分を責める母。葬られた塚に近寄って嘆く。万人に共通の悲痛な内容である。
 そのおり葬ってくれた村人が集まって読経をあげている。なんと今日が命日なのだ。「南無阿弥陀仏」が地謡によって繰り返される。梅若丸も念仏を唱えながら死んでいった。母の思いは癒されるどころか、かえって悲しみを増す。

 

 芝居につきものの大道具。能をもとに明治になって作られた歌舞伎の「隅田川」はこんもり土が盛り上がった塚があるだけの簡素な舞台。それに対し、能は中央に「作り物」という布で囲われた大道具を置く。人の背丈ほどの小さな空間だが屋根に当たるところに柳の枝を配し梅若丸の墓所にみたてている。能舞台は通常、老松を描いただけの背景で演じるので、建造物や自然の山や川もそこにあるものとして、ことばや動きだけで見せることが多い。しかし、「隅田川」で作り物をわざわざ出すのは、そこに人が入っているからである。子方(こかた)と呼ばれる歌舞伎の子役にあたる少年、もちろん梅若丸だ。
 登場人物については、歌舞伎は母と船頭ふたりだけだが、能はそれに加え旅人と梅若丸の亡霊が出る。歌舞伎と違って幕がない能舞台は作り物の塚を持ち込む段階から、子方が中に控えていなければならない。1時間近くその中で待っている。登場するのは終盤、それも、まずは声だけだ。
 「南無阿弥陀仏・・・」の読経が繰り返される中、ひときわ高い声で「南無阿弥陀仏」が聞こえてくる。亡霊が念仏によみがえり墓の中で唱えているという設定なのだ。ここで、表題のセリフを母が口にする。
  のう、のう 今の念仏のうちに まさしく我が子の声の聞こえ候
決して空耳ではない。その証拠に渡し守が、
  われらも さように聞きて候
と返す。そして母ひとりが念仏を唱えると、亡霊が姿を現す。会いたい、会いたいと思っていた息子。梅若丸も走り寄る。大きく袖を広げる母。一瞬、抱き合うのかと期待させるが、そうではない、母の袖の先を通過してすれ違ってしまうのだ。方向を変えてもう一度、近寄るが抱き合うことはない。亡霊は所詮、亡霊。いつしか朝の光に消えていってしまう。梅若丸の声が聞こえ、姿を現すことで、静謐な雰囲気の能が、俄然、劇的な展開にかわってゆく。


 歌舞伎は子役こそ出さないまでも、清元の高い声で「南無阿弥陀仏」が語られる中、「のうのう、今の念仏(ねぶつ)の中に、まさしくわが子の声すなり」と母のセリフがある。そして梅若は姿をみせないが、「わが子の声と聞きたるは川に飛び交う都鳥 わが子の姿と見えたるは 塚にそうたる さし柳」となって、舟唄にかわる。
 母親の悲しみに関係なく、大河は流れ、そこで漁をする人々の暮らしが今朝も始まったというようにもとれる清元の聞かせどころである。
 能と歌舞伎、母と子のドラマを描き、どちらも捨てがたい名作となっている。
 歌舞伎は息子が死んだとわかったあと、「きのうまでも きょうまでも 会うを頼みに 身も知らぬ」と母の心のうちを清元がかわって語る。ここもわたしは大好きだ。つまり、たった今まで生きていると思っていた。だからこそ、こうして東の地まで尋ね来るエネルギーがわたしにはあったのにということだ。健在でいてほしい、生きて会いたいという強い思いと、その反動の深い落胆がこの「きょうまでも」に結集している。


 死んだ子の年を数えるといういいかたがある。なんともやりきれないことばだが、子に先立たれた親は生涯、亡くなった年齢より成長することのない面影だけを思い出しながら暮らさなければならない。幼ければ幼いほどだ。生意気な口をきくこともなく、父親と同じような声に変わることもない。
 あなたは自分の娘や息子のどんな声音を覚えているだろうか。ビデオや録音機がそんな声をとどめることができる時代にはなったが、やはり初めてわが耳で聞き馴染んだこどもの声は機械では再現できない。それは、待ち構えて録音したものでなく、ふと発して感動した、子が成長した瞬間の声だから。
 子は親の声を認識し、それを基準にことばを覚え、発するようになってゆく。子の言語は親を写す鏡だ。それとともに、こどもの声は親の遺伝子を受け、当人たちは気づかないものの、他人の耳にはそっくりに聞こえるようになる。
 そうはいっても親は子の声を認識できない時代になってきたのだろうか。だって偽のこどもからの電話。「俺、オレ」という声が違うはずなのですが?
 

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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