わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第44回】  坂は照る照る 鈴鹿は曇る →バックナンバーに戻る

イラスト

 絶滅が心配されている動物のひとつに虎がある。ベンガルタイガーだ。その赤ちゃんがミャンマーのヤンゴン動物園で三頭も産まれたのだが、母親は育てることを拒否、一頭は食べられてしまった。現代人の病がトラ社会にも?と思ったことだが、粉ミルクを哺乳瓶で与えてもうまくいかない。そこで、赤ちゃんを出産したばかりの主婦が「わたしのおっぱいで育ててあげる」と手を上げた。一回に45分で一日三回。それも二頭いっぺんに授乳する。大変なボランティア活動だが、本人の赤ちゃんはその間、姉に抱かれて待っている姿がテレビに映し出されていた。


 他人の子に出産直後の母親が母乳を与えること、昔はよくあった。また時代劇を見ていると大名の妻は出産しても自分で乳を与えず、扶育係の女性が授乳とともに世話をしている場面がある。有名な乳母は三代将軍・家光を育てた春日局だ。庶民では「おんばさん」。武家では「うば」もしくは「めのと」、それに「お乳(ち)の人」などと呼ばれる。
 文楽や歌舞伎の「重の井(しげのい)子別れ」で知られる「恋女房染分手綱(そめわけたづな)」は乳母が主人公だ。浄瑠璃のタイトル(外題・げだい)はよくできたもので、主に漢字5文字か7文字で全部の内容を表す。「恋女房」は重の井を指し、その夫、伊達の与作は重の井と不義をしたため主家を追い出され、さらに小万という別の女性にも恋の色を「染め分ける」人生を送り、世を忍ぶ生業が馬子。だから「手綱」という文字を使っているのだ。
 ところが手綱を持っているのは夫ばかりではなかった。「子別れ」というくだりでは、重の井の実の息子、つまり与作との間にできた与之助が幼いながら馬子をしていることが判明する。その再会と別れを描く名場面だ。


 昨今は不倫や社内恋愛ということばは無造作に?使われるが、武家社会では法度(はっと)、厳しく禁じられていた。いちばんありそうなケースが若侍と腰元という組み合わせだ。いくら心を寄せても自由恋愛はできなかった。独身同士でも駄目で「不義」になる。ここのところを理解しないと、ドラマの重さがわからない。
 重の井の恋を例にとれば、恋の結果、家老の息子である与作と腰元・重の井はともに御成敗という処分が下されるところだった。しかし重の井の父がお抱えの能役者で、娘の罪をかぶって切腹してしまった。それゆえ、罪一等が減じられ、与作は追放、重の井は調姫の乳母として勤め続けることが許された。当然、与作との間に生まれた与之助は両親と暮らすことができない。里子に出されたまま重の井は会っていない。主人第一、息子のことを考える暇はない。

 

 山陰地方の由留木(ゆるぎ)というこの大名宅、今日は大忙しだ。12歳の調姫の婚礼が整い、関東まで旅立つことになった。ところが姫がむずかる。嫁入りの意味はわからなくても東(あずま)という地へ旅に出ることが「いやじゃ、いやじゃ」とぐずるのだ。ご機嫌を直してもらわなければいけない。そんな折、腰元のひとりが、旅に興味を持ちそうなゲーム盤を持っている少年を連れてきた。それが三吉という馬方。年齢は11歳という。頭は剃り上げ、腹掛けをした馬子姿。持っているゲームとは双六のこと。道中双六といってサイコロを振って京から江戸まで旅をする遊び。宿場、宿場の名所、名物が紹介された楽しいもの。腰元とともに姫は双六に参加し、一番でゴールの日本橋に到着。いわゆるアガリでご機嫌がすっかり直ったばかりか、こんなに楽しいなら東へ下ろうという。喜ぶ一同は準備のため奥へはいってゆく。


 座敷にひとり残された三吉は、つるつるの青畳に滑って、大名の家は暮らしにくいものだとうそぶいて笑わせる。そこに、お乳の人・重の井が褒美の菓子を持って登場。改めて名を問えば、「自然薯(じねんじょ)の三吉といいやんす」と田舎言葉で答える。5歳から馬子暮らし。世慣れた様子は双六の最中に煙管をくゆらせるところにも現れている。
 そして、三吉は「あなたは由留木家のお乳の人。重の井様か?」と問う。そうだと答えると、「そんなら、わしが母(かか)様じゃ」と、いきなり膝にすがりつく。びっくりする重の井は「馬方の子を持った覚えはない」と突き放す。
 それから三吉の身の上話になる。自分はお前(重の井)と与作の間に生まれて、里子に出されていたが、育ての親が死ぬ前に身の上を教えてくれた。それゆえ頼る人もなく、馬子暮らしをしている。でも昼は馬を追い、夜は草鞋を編んで生計も立てられるようになった。だから父親を探して三人で一緒に住もうと、いじらしい提案までする。
 重の井はびっくりし、あらためて顔を見れば、馬とともに寝起きしている、みすぼらしい少年だ。しかし、形見の守り袋も持っているし、話のつじつまが合う。赤子の時に別れた息子の与之助がここにいる。心動かされる重の井だが、恩義ある主人の乳母を辞めるわけにはいかない。でも邪険に断ると、身なりが貧しいからだと勘違いするかもしれない。久しぶりの再会なのに抱きしめてやることができない。それは屋敷で他人の目がある、さらにもっと恐れていることがある。それを三吉自身が口にする。
 おかあさん、あなたは遠慮しすぎているよ、素直にご主人へ願い出たら許してくれるかもしれないよ。だって、お姫様とぼくは「乳兄弟」なんだから、と。あわてて三吉の口を抑える重の井。決して口にしてはならないことであり、聞かれてはまずいことなのだ。それほどの身分社会。それゆえ父の命まで犠牲にしてついた今の役目を、勝手に辞めることもかなわぬ願いなのだ。
 そんな大人社会の論理とは別に、一緒に住むのが家族じゃないか、という三吉の言い分は現代に通じる普遍のセリフである。
 重の井は、詳しくは語れないが、今は一緒に暮らせない、元気でいてくれ、といって金包みを渡す。すると三吉は怒る。
 「母でも子でもないならば、金もらういわれなし、かかさま、覚えていさっしゃれ」といって、金を投げ返し、ワーッと泣き伏す。
 「覚えていろ」これしか言えない少年の無念。そのきついことばを受け取るしかない母。つらい母子の姿である。
 そんな折、「お乳の人。召します。重の井殿」と奥から呼ぶ声、ここに居たい、奥に行かねばならない。重の井は身体と心が引き裂かれるようになる。その裲襠(うちかけ)の裾にすがりつく三吉。顔を背けて逃れようとする重の井。互いの引っ張り合いの動きがふたりの心の中を象徴する。そして堪えきれず重の井はわが子を抱きしめる。


 このとき、観客もずっとこのままで居させてやりたいと思うのだが、出発のため家臣たちが集まり始める。涙を隠して片隅による重の井。すると、家来の一人が涙ぐんでいる三吉を、姫の旅立ちにめそめそするなとこづいて、馬子唄を歌えと催促する。嫌々従う三吉。

  坂は照る照る 鈴鹿は曇る
     間(あい)の土山 雨になる

 民謡、鈴鹿馬子唄で有名な歌詞だが、この芝居では重要なセリフでもある。それゆえ今回の表題に選んだ。幼い三吉の声を想像しながら読んでほしい。一生懸命、働いて働いて、家族で暮らそうと思っていた三吉。辛いけれど晴れ晴れとしていた。夢があったからだ。そして母親と偶然、再会。曇り空で心配だけれど打ち明け話をした。それが、どうだろう。さんざんな返事。その上、大人に怒鳴られ歌わされる羽目。土砂降りの心境。まさに今の三吉にぴったりの馬子唄だ。「雨になる」のくだりでは、つい泣き出してしまう。そのとき重の井は後ろを向いている。わが子が気になる。でも真正面からは見られない。でも見たい。それゆえ懐紙にはさんだ手鏡で様子を伺っているのである。三吉、いや与之助をどんなにもう一度わが胸に抱きしめたいと思っていることだろうか。

 一見すると、お涙頂戴の母子ものととられそうだし、こどもいじめのドラマに見えるかもしれない。でも通し狂言としての骨格を知れば、重の井の苦衷もよくわかるし、道中双六、子別れの愁嘆、馬子唄と音楽劇としての浄瑠璃の配分も実にうまく出来上がっているのである。
 「いたいけ」とか「けなげ」という日本語が思い浮かぶ勤労少年・三吉の思い。今の世の坊ちゃん嬢ちゃんたちに、わかるだろうか。
 ところで、あの虎の「お乳の人」。食いつかれないか心配ではないのだろうか。インタビューでは「全然こわくありませんよ。むしろかわいそうだと思って申し出たんです」とのこと。でも、生後一ヶ月を過ぎると爪や歯が生えて危険になるとか。
 このベビータイガーたち。自然界では乳離れしたあと、生きるために「馬を追いかける」のは三吉と同じ? とまれ「母」という漢字の中の「ヽ」ふたつ。おっぱいを指すってご存知でしたか?
 

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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