わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第46回】  みずからが手を取って 緩怠至極 →バックナンバーに戻る

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 韓国ブームでハングルを学ぶ人が多い。漢字文化から離れたハングル文字は、失礼ながら丸と棒を組み合わせた形にしか見えず勉強しなければ読めない。でも音で「アンニョンハシムニカ」と聞き、アンニョンが「安寧」という漢字をあてれば、わかった気になるし、「カムサハムニダ」のカムサが「感謝」と教えられれば、なるほど「ありがとう」なのだと感心してしまう。
 日本語の「ありがとう」も考えれば面白いことばだ。有り難い。ありえないことだと思えるほどしていただいて、わたしは感謝の念でいっぱいだということだろう。
 ありえないこと。これを、ひところの若者は「ウッソー?」「ホーント?」などといい、「それはない。ありえなーい」といった。人生はありえないことが、しばしば起きる。しかもドラマ、芝居はありえないことが連続することが当然と知っているので、余計その虚構を楽しめるといえよう。


 鶴屋南北の歌舞伎は、特にそんな「ウッソー」の連続である。有名な「四谷怪談」は夏の映画やテレビドラマの定番で、お化け屋敷の必須アイテムである。主人公はお岩様。冷酷な夫に毒を飲まされ、顔が猛熱のため変貌する。美しい女性の顔が見る見るうちに腫れ上がって行く。
 ここまではよくある犯罪だが、夫は妻を殺すのではなく醜くすることで離婚し、別の若い娘と再婚しようとしている企みが発覚。そこでお岩様は髪を梳いてお歯黒をつけ、つまり恐ろしい顔に化粧を施して、その娘の実家に「お礼参り」に出かける。このへんが「ありえない」怖さとおぞましさ。お岩様には邪険な夫との間に産んだばかりの乳飲み子までいる。その子が蚊に刺されるのを防ぐための蚊帳や赤子の着物まで剥いで質屋に持ってゆこうとする夫(これは今でもいそう)。赤子のために奪われまいとすがりつくお岩様。でも引きずられ指の爪がはがれる。怨念から指先が蛇になる(ありえない)。その挙句、あやまって自分で刀に首を乗せ死んでしまう(ありえない)。そんな連続が南北怪談だ。
 

 鶴屋南北の人気作に「桜姫東文章」というものもある。怪談と違ってとても清楚なタイトルだが、やはり「ありえない」シチュエーションが展開する。
 桜姫という公家のお姫様が主人公だ。生まれつき左手が開かない。17歳になって出家をしようと高僧に祈祷してもらうと、その手が開いて香箱という小さなものが転がり出る。(小さいといっても赤子の手にはいらないので、ありえない)。それは高僧が17年前、心中し損なって死なせた相手の遺品だった。だから姫は心中相手の生まれ変わり(ありえない)。
 その日、姫が髪を下ろす準備をしていると、手紙を持って使いにきた下僕を見て、出家を思いとどまる。その男の腕にある刺青を見たからという。実は一年前、夜中に押し入った泥棒に姫は犯され、そのおり顔は見えなかったが腕の刺青を見て覚え、忘れられなかった。犯人を憎いと思うのではなく恋しいと思っていたという(ありえない)。その上、姫は「記念に」男と同じ刺青を自分で腕に施した(ギョギョ!ますます・・・ありえない)といい、それを見せる。たった一度の契りで妊娠し、親にも内緒で産み落とし、里子に出していたと男に語る。もう、なにがなにやら、驚愕の真相告白という芝居になっている。
 そして高貴な僧は破戒して流浪する。姫も恋する下僕に売り飛ばされて女郎になってしまう。ところが、姫にはお岩様のような哀れさは少しもない。生き生きと新しい女の人生を生きてゆく。つまり深窓のお姫様がたくましく変貌するさまが愉快に描かれる。
 振袖を着て多くの腰元にかしずかれていた姫は、みすぼらしい姿で春をひさぐ日々を送っていても少しもへこたれない。むしろ、その時々を謳歌しているように見える。それは南北が与えた姫のセリフに表現される。
 桜姫が登場したばかりの頃は、「罪業深きみずからが これまで御願い申せしこと、どうぞ叶えてほしさのまま」とか、「いざ剃髪の用意せん みなもおじゃ(いらっしゃい)」など姫言葉を上品に使う。
 ところが、身過ぎ世過ぎの果て、下世話な庶民の言葉をしこまれて、かつ姫言葉も残しながら変貌したセリフはこうだ。
 「コレ 口はばったいこったが ぬしの下っ端と決まったおなごは、みずからよりほか この日の本にふたりとあって いいものかは」
 夫のそばに若い女性がいたのを見て、嫉妬し口走ったひとことだ。さらに赤子を見て、
 「みずからなぞは こどもは嫌れえだよ ええ しみったれな 好かねえことを よしねえな」
 伝法なことばをマスターしながらも、17年の御養育のたまもの、自分を「わし」とか「わっちゃあ」などといわず「みずから」というのがアンバランスでおかしい。そして女衒(ぜげん)が姫の手を取って女郎屋に連れていこうとするところが表題のセリフ。
 「あの家へまたぞろ戻れと言やるのか? アタ、おきねえな。イケ、無作法な、みずからが手を取って 緩怠至極(かんたいしごく)。エエ、好かねえ人だ」
 「アタ」とか「イケ」という接頭音が自然に出る世慣れたところに、「言やるのか(申すのか)」と「緩怠至極」の上流階級語。特に緩怠至極は無礼千万な、無作法なと相手を叱る目上のことば。これがいい。
 この芝居は姫に恋した高僧が殺され、幽霊になってつきまとうという怪談話も出てくる。姫の頃なら「あれええ 怖いワイナア」と震えるところだが、身を持ち崩してからは怖がるどころか、幽霊に向って、「コレ幽霊さん」と居直り、「そなたの死霊がつきまとうゆえ、馴染みの客まで遠くなるわいなあ。エエ ひとの稼ぎの邪魔をするのか」と叱りつける。そして、
 「みずからを見くびってつきまとうか。世になき亡者の身をもって 緩怠至極。エエ 消えてしまいねえよ」
 ふたたび「緩怠至極」だ。これが桜姫のパワーの源。自分の生き方は自分で好きに選んでいる。少しも悔やんでいない。だから自分の邪魔をしたり、命令されたりすることを極端に嫌う。緩怠至極と切り捨て、自分を主張することは終生変わらないのである。
 このあと自分の恋人が、死んだ高僧と兄弟だったり、親の敵とわかるなど、さらにありえない展開が大変面白いのだが、姫が男を殺した弾みに懐から姫の実家の宝物が転げ出て、お家が再興。めでたしめでたしという、やはり「ありえない」結末で終わる。
 つまりこれだけありえないことを見せられると、かえって「なんでもあり」なのかなあと変に納得させられてしまう。鶴屋南北という戯作者がもつ筆の毒力なのである。
 桜姫は客を取る商売をしながらも、からっと世渡りしている。刺青は鐘の絵柄なのだが、小さいので風鈴に見える。そこで「風鈴お姫」という源氏名(ニックネーム)までついてしまい夜のアイドルになっている。簡単に身を売ったり、おしゃれなタトゥなどといって肌に生涯消せぬ絵を入れてしまう現代の少女たちを、180年前に書いてしまった南北は凄い、というほかはない。

 

 ちょっと深刻になったので桂三枝・語学(誤楽?)博士に教わった韓国語でお開きにしよう。
 お風呂は「ノボセヨ」。受験生は「カミダノミダ」。サンドイッチは「パンニハムハサムニダ」だって。ただし、決して韓国の人の前では使わないようにと。曰く、「なぜか 通じない!」とか。
 こんなこと無断で書いたので三枝さんに、こうおこられそうだ。「アカン怠至極」と。スミマセンスミダ。
 

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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