わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第48回】  降らねば よいがなあ →バックナンバーに戻る

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 この夏、東京の住宅街でバスに乗っていた。ふと窓外に目をやれば、妙な男性が歩いている。首から大きな札を下げているではないか。それには近眼のわたしも読める字で「保護者」と書いてある。「?」と思ったが、その直後、通り過ぎたのが幼稚園。それで納得。数秒後、同じ札を下げて幼稚園に向かうのであろう女性と手をつながれた少女。通園安全のための措置、いかにも当世の風景だったのだ。「保護者」と書かなければ親子関係が信じてもらえない時代になったのか。
 そういえば、電車の中でも首に紐を掛け、その先を胸ポケットに入れている人が多い。会社などの身分証明書・IDカードだ。自分が札やカードでしか認知してもらえない。安全は安全なのだろうが、声掛け合って暮らしてきた日本、狭い島国のよさを、まだ信じたいわたしとしては、やはりさびしい。


  でも江戸時代だって、自分を証明してくれるIDカードがなければ、他人様に信じてもらえなかったのだと、その数日後、芝居を見て思い知った。
 「沼津」という歌舞伎。人形浄瑠璃が原作でどちらも名作だ。本筋は仇討物語だが、この「沼津」は全体がわからなくても親子の情愛を描いた佳品として一幕だけ独立して演じられることが多い。
 東海道、三島はずれの茶店で出会った、鎌倉の呉服商、十兵衛と地元の貧しい老人、平作の物語。ふたりは真実の父子だったが、お互いに気づかず一緒に歩くことになる。供の者が十兵衛の手紙を前夜の宿へ届けに行っている間、賃稼ぎの荷物持ちを平作のほうから頼み込んだからだ。十兵衛は鎌倉の羽振りのよい商人。かたや、みすぼらしい身なりで足元もおぼつかない平作は対照的な姿である。十兵衛が二歳の折、養子に出してしまい音信不通のためお互いは知らず、観客ももちろんわからず、次の宿場でふたりは別れるはずだった。しかし、十兵衛は誘われるまま、平作の家に立ち寄ることになる。それは十兵衛の心に野心が生じたからだ。別れ際に出会った平作の娘、お米があまりに美形だった。旅先の男の浮気と思ってはいけない。十兵衛は独身。これから商いをさらに大きくするために働き者の嫁がほしいと思っていたこともあり、母親の墓参の帰りで父親思いの娘に心引かれたのだ。
 

 場所は平作のあばら家。いつも高級なホテルに泊まるエリート商社マンの十兵衛には似つかわしくない一軒。あとから追いかけてくる供の者にわかるよう、道中笠を軒に吊るしておく。それには山形に十文字の印がある。
 娘のことを、ますます気に入り、嫁にほしいと切り出すと、お米は血相を変えて怒る。実は人妻だった。わけあって夫とは離れて暮らしていた。自分目当てに親切めかしていると怒り出すが、誠実な十兵衛が謝り、お互いの気まずさをとりつくろうため、あえて一夜の宿をとることになる。
 三人が寝静まってから事件が起きる。暗闇に乗じて十兵衛の枕もとで盗難騒ぎ。犯人はなんと、お米だ。盗んだのは印籠。悪いとは知りながら、十兵衛が持っている薬がほしくてつい魔がさしたのだ。それは手疵を負って療養している夫のために買いたいけれど買えない超高級品。貧苦と夫助けたさゆえの犯罪となってしまった。
 そんな事情を侘びながら語る久作。十兵衛は、ここで重要なことに思い当たる。その疵を負った人物に仇と狙われているのが自分の主人筋の人物だと。つまり、この平作一家と十兵衛は敵対関係にあるのだということだ。
  そんな偶然の驚きを隠して、哀れな父娘のため、それならほかに頼るべき人はいないのかと聞く。
 実は幼い頃に手放した息子がいた。幸い健康で、しかも裕福に暮らしているとの噂。でも今は他人である。裕福だからこそ頼ってはいけないのだ。
 人の道をわきまえた老人のことば。いかに貧しくとも誠実に生きてきた平作の述懐だ。その話に登場した守り袋のこと。中に臍の緒書きが入っている。子供の名、誕生地、母の名などが書いてあるという。その内容は、
 「鎌倉八幡宮の氏地生まれ 幼名、平三郎 母の名、おとよ」
 ここで十兵衛はドキリとする。心当たりがある。相手に気づかれぬよう懐の守り袋の中を見て仰天。目の前の親仁は実の父。そして、一度は嫁にと思った娘は自分の妹だったことに気づく。普通の二時間ドラマなら、ここで涙の対面だが、江戸の浄瑠璃作者は違う。もうひとひねりしてある。敵同士という存在。打ち明けることができないのだ。
 驚き、喜びも束の間、困惑と絶望。十兵衛はいちどきに、さまざまな感情に襲われる。それもこれも、自分を産んだ母親、おとよの命日のできごとだったのだ。仏壇にこっそり金包み、臍の緒書きを供え、わかるところに薬(印籠)も残して立ち去る。なんという複雑な心境、なんという悲劇。決して出会ってはいけない父と子、兄と妹だったのだ。


 去り際に花道まで歩いてきた十兵衛が夜明け前の空を見てこういう。
 「降らねば よいがなあ」
 片岡仁左衛門のセリフで聞いて心に沁みた。この芝居は、拙著「名セリフの力」では有名な「落ち着く先は 九州相良」をとりあげたことがあるのだが、今回初めて、意味深いセリフと教えられた。
 親子の血が呼び合ったとはいえ、お互いにわからない顔かたち。それがわかったのは守り袋の中に臍の緒書きというIDカードがあったからだ。その挙句、深い心の闇にひとり堕した十兵衛。空に雨雲があろうがなかろうが、わが心の風景をつぶやいたのだ。
 金とともに薬を残してきたのは、初めて会って、二度と会えない父や妹に孝行がしたかったのだけれど、それゆえ敵味方の仲とわかってしまったら、降りだすどころか大嵐の親子関係になってしまう。なにもわからずに不安の雲が通り過ぎてくれたらいいのになあと思っているのでもある。
 実は敵同士だという証拠も残していた。あの薬が入った印籠がそうだ。それにはマークが入っている。仇の家紋であり、お米はその印籠を見たことがあったのだ。
 芝居はこのあと悲劇が待っている。しかし、悲しすぎるので今回は触れない。ここまででも充分だ。当時、こんなこともあっただろうと納得できる物語だから。
 守り袋、臍の緒書きに印籠などをIDカードにたとえたけれど、まだあった。
 「降らねばよいがなあ・・・・」というセリフは、十兵衛が足をすっくと伸ばして立ち、左手には笠を持つ。道中笠だ。それで顔を隠しながらつぶやくところが素敵なのだ。その笠もいわばIDカードになっていることに気づくだろう。十兵衛のマークが入っているのだ。


 かくいう、わたしの職場もIDカードがなければ受付を通過できない。顔見知りがいても駄目。自分のセクションに内線電話を入れて、本人確認をとってもらわなければいけない。これが当たり前のことになってしまった。報道機関なので厳しいチェック体制が導入されたのはかなり早かった。しかし、初期の頃はこんなことがあった。
 もう退職したが、有名なアナウンサーが受付で誰何された。テレビで顔を知られていることもあり、顔見知りの受付の職員だったので、ちょっと気色ばんで「わたしを知らないのか」とばかり、むっとした表情を見せた。すると、小さな声でこう言われたそうな。
 「いえ、あのう、チャックが開いているのですが・・・・」
 こんな話が広まるのはあっという間。だって放送局ですからね。ご内聞に。

葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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